骨髄ドナーというのは、身近なようでいて周りにあまり経験者がいないものではないだろうか。
多くの人が「人の命を救うことができるならやってみたい、でも大変そう…」程度に考えていて、ドナーを経験した人は「すごい」「偉い」と単純に賛美の対象になる感がある。
私は、数年前にその骨髄ドナーを経験した。
本来ドナーになったことは大っぴらに公言してはいけないのだが、幸い?なことにこのブログの存在は誰にも明かしていないので、身元が分かることはまずないだろう。それよりも、自分の経験を少しでも多くの人に知ってもらう方が価値があるのではと判断したので、書いてみることにする。
長文です。
ドナーに適合したのは、登録してから5年ほどしたころ。
ちょうど大きな引越しが重なってしまい、コーディネーターと呼ばれる、骨髄バンクのスタッフの方には大変迷惑をかけた。
正直に言うと、本当に選ばれたのは非常に驚いた。
登録はしても、実際に適合する人はかなり少ないと聞いていたからだ。
骨髄移植というのは、主に白血病などの血液の病気に適用される。なので、白血球の成分が合うかどうかで決まる。
有名な「ABO式」の血液型は赤血球の型で、白血球はもっと種類が多い。そのため、家族といえども中々適合しない。
ちなみに、骨髄の移植をすると「ABO式」の血液型も変化する。私はA型だが、私の骨髄を移植した人は元々B型でもO型でもA型になる。
それだけでも、血液型で性格を判断するのがどれだけ無意味かが分かると思う。
もちろん迷いもあったのだけど「ここでやめたら、登録したのも結局偽善だったのか」という思いが強く、承諾した。
家族の同意も得て、最終同意書というやつにサインをした。途中多くの同意ステップがあるのだが、この最終同意を終えると患者さんは全身の骨髄を抜くなどの手術の準備を始めるため、キャンセルは許されない。
家族は、やはり諸手を挙げて賛成ではなかった。というか、反対していた。
どこから調べてきたのか、過去の骨髄移植で1件だけ発生したドナーの死亡事故の話を知っていた。
家族のそういう気持ちも分かるから、何となく辛くはあった。
ドナーと患者の間には完全な「貸し借り」が発生するので、お互いの情報は絶対に教えてくれない。ただ、手術の直前に「関東に住む50代の男性」ということだけは教えてもらった。
ここでちょっと複雑な気持ちになったことは隠さない。
自分が登録したきっかけは、18歳の時、白血病で親友を失ったことだった。
うっすらとではあるが、やはり子ども、または自分より若い人の命を救うものだと思っていたのかもしれない。それこそ自分の勝手な思い込み以外の何物でもないのだけど。
手術当日、まずカンチョウをして腹の中のものを全部だす。
これは、全身麻酔のために手術中に垂れ流してしまうことがあるからだそうだ。
そして直前に、医大生に手術の見学をさせたいと言われた。
正直、尿道カテーテルを入れられるところまでうら若き学生に見られるのは恥ずかしかったが、特に断る理由もないので承諾した。
手術室に運ばれる前に、腕にとてつもなく太い注射を打たれた。その後本当に数分で眠ってしまい全く記憶がないので、睡眠薬か何かだったのだろう。
次に気づいたのは真夜中だった。
腰に激痛が走り、飛び起きた。麻酔が切れたわけだ。
まさに「鈍痛」というやつで、2Bの鉛筆をゆっくり刺されているような痛みだった。
実際に、腰には鉛筆大の針の痕が4つあった。
その後、朝まであまり眠れず鈍痛が続く。
ようやく歩けるようになったのは2日後くらいだったが、それでも早いと言われた。
1週間後には無事退院。仕事には次の週から復帰できた。
ただ、私はオフィスワークだったからよかったものの、肉体労働や立ち仕事だったらおそらく3週間程度は厳しかっただろうと思う。しばらく重めのドアを引くことすら難儀した。
前述のようにドナーになったことは言えないため、本当のことは上司にのみ伝え、周りの人には「腰をうって入院した」と言っていた(笑)
ドナーと患者の間では、手術を終えてから1年間、バンクを通じて手紙の交流が認められている。
私は、やはり心のどこかでその手紙を待っていた。自分の力、では全然ないけど、まぁ少しでも役に立ったのなら嬉しいな、と。
しかし、手紙は来なかった。
これが何を意味しているのか、色々と考えた。
結局、役には立てなかったのか。それとも助かったけどお礼は言われないだけなのか。それならいいんだけど、相手はひょっとしてとんでもない極悪人で、自分は社会の役に立つどころか逆のことをしてしまったのでは…
妄想は広がるばかりだ。
自分から送ろうかとも思ったのだが、悲しい理由だったら相手に悪いし、結局できなかった。
結局私はドナーにはなったものの、自分のしたことは一体なんだったのか、自分の中で消化できないまま、何ともいえない後味と厚生労働大臣からの感謝状一枚を抱えることになった。
それが当たり前で、自己満足気分を得ようとしていただけなのだろう、と今は思う。
しかし当時の自分としては、それなりに自分のいろいろなものを犠牲にして見ず知らずの人の命を救おうと覚悟していたので、その結果が何も分からないということに多少なりとも不満を抱えていた。
この辺りは、今後のドナー運営の点で何かしら改善してほしいと願う。大変難しいことだとは分かっているけど、それがドナーを増やすことにもつながるのではないだろうか。
生涯で骨髄ドナーになれるのは2回だけ(家族の場合は除く)。
手術をしてから半年後くらいに、引き続きドナーになるかどうかという意思確認が来た。
私は迷ったが、断った。
そして今でも、再登録はしていない。
ドナーを考えている方がいらっしゃれば、本当に家族とよく話し合って、そして最終的にはやはり自分の意思で決めてほしい。
私の場合、もし家族や知人が「やりたい」と言ったなら、自分の経験をよく話すつもりだ。
もちろん個人差があるけど、完全に何の違和感もなく運動ができるようになったのは半年後くらい。針の痕も半年もすれば消えると言われていたけど、3年は残っていた。
骨髄ドナーになった話というのは美化されやすい。検索してみても、すばらしい体験談ばかりが並ぶ。
だから、私が思ったことも記してみてもいいかなと思った。正しいとか間違っているとかではなくて、ただ「私の場合こうだった」というだけ。
明日は、その友の命日。
この体験談が、何かの役に立てれば大変幸いです。
おとといの金曜日にオレンジ色の例のものが初めて届きました。
ドナー登録してもう10年経ちます。
まだコーディネートも始まっていませんがすでに緊張しています。
不安で骨髄ドナーについて調べてみたらこのサイトにたどり着きました。
ここに書かれている皆さんの記事を読み気分も落ち着きました。
提供者に選ばれるかまだ決まっていませんが、
こんな自分の命でも他人に喜んでもらえるのなら喜んで協力しようと改めて思いました。
明日、封筒を投函しようと思います。
今からだといつごろですかねー?
早くて8週間でしたっけ?
また進展あったら報告に来ますねー
>>たらちり
同じ日かな、お急ぎコースがうちにも届いた。
これで2回目なんだけど、1回目のとき採血して検査したんだから、
私の白血球のデータはかなり詳しく知っているはず。
という事は「候補に選ばれました」といいつつも、指名に近いんじゃないか?
とか思ったけどそうでもない??
何度も同じ検査はめんどくせえな。
ドナーについて検索したらここに行きつきました。ドナー登録してから
8年くらいでしょうか・・ところで私は最終候補に選ばれ今日最終同意書にはんこをおすために病院にいきます
あと数時間で・・正直軽い気持ちからだったので心配になってきましたww^ ^
先日、友人が白血病で亡くなりました。
・・・とても笑顔の素敵な友人でした。
普段は泣かないし弱音も吐かない子なのに、「骨髄移植の経過はどう?」と体調を心配して聞くのに、「ドナーさんのお陰で生きられているよ。ドナーさんには感謝してもしたりない。」と嬉し泣きをしてました。
口癖みたいに「せっかくもらった命だから、毎日を精一杯、きらっきらに生きたい」とも言っていました。
そんな友人を少しでも救いたくて、型が合うとか考えなしに骨髄バンクに登録しようとしたのですが、残念ながら重度の薬アレルギーがある人はスタートラインにすら立てないという状態でした・・・。
ザックスさんは「軽い気持ちからだったので」とおっしゃっていますが、軽い気持ちでも、重い気持ちでも、こんな風にドナーになってくれている方々がいらっしゃったからこそ、私の友人は自分と同じ病気の人を励ましたいと骨髄移植の普及に勤しんだり、僅かな期間ではありましたが夢だった小学校の教壇に立ったり、同窓会を開いてたくさんの友人に囲まれたり、甥っ子をかわいがったりと、少しでも長く毎日を過ごせたのだと思うと私も感謝してもしきれないです。
ありがとうございます。
以前にドナーとして協力したものです。
自分が思ったことを記させていただきます。コーディネーターの方も良い方でしたし、強引なことはありませんでした。
ただ、骨随バンクという組織自体が、骨随移植の推進を本当に第一に置いているのかを疑問に感じることが幾度かありました。
ほんの小さな要望も「骨随バンクの決まりだから」と断らrれたり、骨髄バンクと病院の都合のが優先させられたりしました。患者さん、ドナーさんの都合は置いて置かれます。(もちろん患者さんを優先することは納得した上の小さい要望についてでさえも)
一番、気になるのは、質問したり、要望を出したりすると、「(骨髄バンクの決まりに)納得できないのなら、中止しますか」というようなニュアンスの、答えがバンク側から出されることです。推進するはずの団体がこうゆう答えをしていいのか、そして、万一それで断ったら患者さん、そしてドナーにどれだけ精神的に肉体的に、後悔と負担がかかるのか、骨随バンクの組織、担当の方には考えていただきたいです。このような対応で、万一事故等出て、どれだけ誠実に対応してもらえるのだろうと当時心配になった程です。
本当に推進していくのなら、骨髄バンクはもっと柔軟に患者さんやドナーさんの要望に応えていくべきだと思います。
患者さん及び、家族の方で 万一断られたドナーさんに不信感をもたれる方もいるとは思います。もちろんその気持ちは当然ですし、あまり責任感もなく、気楽に登録し、断られる方もいるのでしょう。ただ、間に入る骨随バンクの調整の仕方にも問題が無いとは言えないと思いました。
患者さんからも骨髄バンクの頑なさについて、変わるように求めてもらうことはとても必要だと思います。そのことでドナーの数ももっと増えていくと思います。
自分は、協力してとても良い経験だと思いましたし、さらに移植の機会が増えることを切に求めるからこそ記させていただきました。
はじめまして。登録し18年くらいになり、登録期間も終盤に近づいた者です。登録当時は、10万人が登録目標だった様に思います。登録すら忘れかけていた昨今、適合通知が届き、最終同意直前です。公表される情報の反対側には、何事に於いても必ず真実があるものです。ドナーリスクは考えられるだけ質問もしましたが、予想通り
安心できる回答・補償・今後の改善検討事項はありませんでした。せめて、幼い命・若い命の一助となれば幸いかとの登録当時の私なりの思いに一縷の望を抱き、同意しようと考えています。現状は高齢者への提供が増加している旨をコーディネーターから聞きましたが・・・。皆様の体験を知り、少し溜飲が下がりました。ありがとうございました。
初めまして。
10数年前に、献血のついでに軽い気持ちで登録しましたが、先日適格者通知が届きました。
今とても悩んでいますが、こちらのブログを読んで色々と考えることもできました。体験談書いてくださってありがとうございました。返信期限までもう少し悩んでみます。
私も今日、オレンジの通知が届きました。
家内には了承を得て、いざ両親に適合通知の報告をすると
断るようにと言われました。
ドナー側のリスクがあるからだと。
どうやってご家族を説得されたか詳しく教えていただけると嬉しいです。
手紙は送るべき、「元気で過ごしてるといいですね」
>Y.Sさん
コメント頂きありがとうございます。
私の経験になりますが、正直、最後は無理やり押し通しました。
ご両親から見れば、いくら誰かのためとはいえ、必要のない危険に我が子を晒すわけにはいかない、というのが本音でしょうし、当然の考え方だと思います。
移植時の事故は、全身麻酔のわずか1件であり、そもそも、適合した人が現れてから辞退するなら、何のために登録したのか、自分は自己満足のために登録したわけではない、ということを家族に話しました。
Y.Sさんも是非、ご家族の方とはよくお話いただければと思います。
先週ドナー提供して来ました。
きっかけは献血のついででしたが、いざ黄色の封筒が来た時は私は嬉しい気持ちでした。ひょっとしたら、これから何処ですれ違うかもしれませんが、お互いにそれだとは気が付く事はない関係ですけど、それでも、誰かの生きるきっかけを与える事が出来るわけですから。
正直、提供しても生存率は50パーセントあるかどうか。でも、少ない確率で適合した私が手助けする事で、生きる可能性はゼロではなくなる訳ですしね。
まあ、自分もいつか、逆の立場になるかもしれないし、こういう事って不思議と何かの形でかえって来ると思うのです。だから、今、自分が出来る事があるならと私は思いました。
実際は家族の理解や、仕事を休んで検査等大変でしたが、やはり、周囲の理解がなければ難しいと実感した次第です。それでも、自分は後悔はしてません。今回の事を通じて、生きると言う事を真剣に考える事が出来たと思います。
今日、オレンジの封筒が届きました。
登録して18年。昨年の通信で登録期限が55歳というのに気が付き、
もう提供せずに終わるのだろうと思っていた矢先です。
患者の友人が骨髄バンクで提供を受けて命をとりとめ(今もとても元気です)、
その姿を目の当たりにした一方、
同時期に会社の同僚が再生不良性貧血でなくなったのがきっかけで、
バンクに登録しました。
実際、封筒が届き、とても動揺しています。
自分ではボランディア精神があると思っていましたが、
とても不安で、こちらにたどり着きました。
皆さんのお話、バンクの通信の体験談と違い、
現実的で、参考になりました。
期限までもう少し考えてみます。
H24献血ついでに登録しました。その4月に早速オレンジ封筒がきました。正直がはやくてびっくりでした、。
その時は職場に人がいなく、抜けられない状況。上司から諦めてくれといわれ断りました。その際次回はいつだったら良いですか?と言われ、1年半後のH2510月と記載したら、今月早速、オレンジ封筒が届きました。
とてもびっくりです。みなさんは数年後に届いたとおっしゃっているので、自分の白血球の型がそんなにすぐ適合するかと。
今回も急なので、みなさんの経験等を読ませていただき、家族(母子家庭ですが)決断したいと思います。
10月7日に適合したとの通知が届きました。
登録してから7年くらい経っており、正直、迷っています。
『登録し、適合したら、断る』って言う行動は、登録していないのと同じではないかと自分に問い掛けています。
そもそも薬の服用と体重がネックになり、最終的なところまで行かないのかもしれませんが・・・
ドナーになると痛みなどを伴うと思いますが、病気と戦っている人のことを考えたら・・・
いろいろな方の体験談を読んで、あと少し、よく考えてみます。
こちらのページは参考になりました。
ありがとうございます。
こんばんは。
1週間、遅い夏休みをいただいて、国内旅行を満喫。
帰宅したら。。。オレンジの厚い封筒。
あけてやっぱりと思いました。
両親にはまだ話していませんが、じっくり悩んでみます。
11月3日、家族と一泊旅行から帰ってポストを覗いたら、橙の封筒が届いていました。2年前に妻と献血に行った時に二人ともドナー登録しました。今回、僕の名前でした。妻と話し合いをしやる方向では居ますがあとあとのことを考えると骨髄移植は自信がありましせん。
幹細胞移植なら問題ないのですが…コーディネータと充分話し合いして決めたいと思っています。
ちょうど2週間前にオレンジの封書が届き、中にあるアンケートを記入。。さらに、アンケートの項目にある、家族の承諾、に従い、家族にも説明。最後まで反対していた親父を説得した言葉。自分にもまだ小さい子供達がいる。そのうちの一人が、誰かの助けが必要な病にかかった時、すべての人に対して、命をかけてお願いできるようにしておきたい。両親からいただいたこの身体だけど、その一部を、今、誰かが必要としている。だから、提供することに同意してもらいたい、と。
結局、患者さんの都合で、コーディネートが終了しましたが、引き続き登録しています。
家族で話した有意義な時間を提供いただいた事、感謝です。
私は今、小説を書いています。
主人公の父の病名が「白血病」のため、検索していたらこちらにたどり着きました。
私自身、骨髄提供及び死亡時の臓器移植の意志を表明しています。
きっかけは、好きなアーチストのマネージャーさんが白血病だったからです。
この方はお仕事こそ辞めてしまいましたがその後ドナーが見つかり、
今は元気に過ごしてらっしゃいます。
登録して15年ほど経ちますが、いまだに提供依頼はきていません。
ちなみに私は一卵性双生児であり、私が適合すると当然兄弟も適合します。二倍?です
依頼がないのは「型が合う病の方がいないこと」と逆に喜ばしいことだと感じていました。
定期的に自宅に届く冊子。中には必ず「喜びの声」が寄せられています。
名乗ることはできなくとも、手紙で、互いの幸せを祈ることはできるわけです。
登録してだいぶたちました。年々歳を取り、いつまで健康でいられるかわかりません。
提供する方は皆、決して見返りだけを求めて協力するわけではないと思います。
その代償は大きいですし、「私ってすごい!偉い!」という感情だけではカバーできない
大変さが提供者にはあります。
でも・・・すみません。一度も届かなかったというお手紙の事実を知り、
とても悲しくなりました。個人的な意見です。
先日2度目の骨髄移植をしました。
1度目は何年か前の6月、某球団に外国人選手がデビューしてホームランを打ったことを手術後麻酔が切れる頃に執刀された先生が教えてくれました。手術前の意識朦朧としている時にそんな話をオイラがしてたそうです。
この時は嫁も親も来ての最終同意でしたが、手術後おかんから「もうやったらあかん」と言われてました。入院中は幼かった息子や娘も見舞に来てくれてました。
先日の2回目は最終同意は息子にやってもらいました。ちなみに誰も見舞いに来なかった。まあ、いいけど。
親にも連絡はしていない。今だに言ってないのでそろそろ伝えようかと思います。
1度目のとき、オイラにも手紙は届きませんでしたので、想像するしかありません。
今度は手紙が届いたらいいなあ、と思うけどどちらでも良いです。
先だって、骨髄を提供してきました。
万事うまくいき、術後の患部の痛みは大したことはありませんでした。
ただし、尿道カテーテルは痛かった。術後4時間は抜くことができず、
抜いた後も小便をするたびに痛かったですが、これも翌日にはよくなりました。
術前は自分自身に「お前の骨髄は必ず患者さんの力になれる」と言い聞かせていました。
また、風邪ひとつひけないので健康には普段以上に気をつけていました。
今願うことは、拒絶反応と闘っている(であろう)患者さんに骨髄が生着し、春先には元気になることです。
というよりも、必ず元気になってくれるはずです。
仕事の都合をつけるのは大変でしたが、機会があれば、また、引き受けるつもりです。
16日にオレンジ封筒が届いた。
自分の心の甘さを痛感した。
4ヶ月の娘を守っていきたい。
せめて高校出るまでは。
軽い気持ちで登録したのを悔やんでいる。
今回、色んなことを言い訳にして自分を納得させて、提供の依頼を断ろうとしている。
自分は誰かの最後の希望だったかもしれない。
それが絶望になり、余命を過ごすのだろう。
そんな身内を看て、日々を送るのだろう。
交通事故に遇う確率かもしれない「後遺症」と、前例に1件しかない「死亡事例」を恐れて、人1人を見殺しにする我がの醜さよ。
気づいたら、こんなに小さくなった自分がいた。
このサイトに巡り会えなければ、そんな糞野郎な自分自身も見つけられないままだったと思う。
ありがとうございました。
死ぬまで後悔するんだろう。。
本当にごめんなさい。。
>きょうすけ
娘がいなくても、このタイプはその時々に都合の良い何かしらの理由つけて逃げる。
後遺症持つなり、死ぬなりして保険金に変わった方が家族のためになるレベルの人間だってのが現実なのにね。
本当は後悔なんてしてない。そういうポーズとって自分に酔ってるだけ。
気付いたら小さくなってたんじゃない。最初からそのサイズだよ。大丈夫。
私にはまだオレンジの封筒が届いていません。
もしこれから子供ができたら小さいうちはお断りする可能性があります。
しんすけさんのような人がいるとドナーは増えないだろうなあと思いました。
1年前にバンクに登録し、第一候補の方が辞退さたと言うことで第2候補で待機中だった私に連絡が来ました。
次の面談で最終同意をしたらきゃんせるは出来ないと言うことでした。
登録したのは、選ばれたら提供するつもりでした。今でもその気持ちは変わらないつもりです。献血も出来る限りの進んでしていますし、臓器定期カードも所持しています。
ボランティア精神が強いわけではありませんが、私なんかでも役に立てるならと思っています。
コーディネーターのかたが、何度も何度も「いつでもお気持ち変わられたら...」と言われるのは固く決めた気持ちでさえ、正しいのかなって思ってしまいます。言い過ぎだろうと思っていますが、そんな言葉にも負けず固い意思でないと立ち向かっては駄目と言うことでしょうか?危険な話を聞いて家族も不安げです。
どうせやるなら、気持ちよく提供に向かいたいのに少なからず不安な気持ちになってしまいました。
少しでも経験者のお話が聞きたくて検索していたらこのページを見つけました。
皆さんの体験談を読ませていただき少し不安な気持ちも減ったような感じがします。最後は自分の決断ですね。
2回目の適合通知がきました。
5年前の1回目は途中で終了となったので、実質、1回目と同じです。
しかし、コーディネーターの方からは、2回目なので、説明も省きますね、とか、説明医からも、質疑応答だけで説明は無し。ハンドブックに書いてある通りです、と。
質問がなければ沈黙が続くだけだし、医師にとってはチープで当たり前的な質問だったのだろうけど、こっちは真剣だったのに、医師の説明のかたわらで、コーディネーターは吹き出して笑う始末。
言葉を失ったのは、
コーディネーターは私に「移植手術は危険ではないですよ、でも、心配されるのもわかりますよ」と言いたかったのかもしれないけれど、それを、「たかが骨髄移植、されど骨髄移植」と、言ったこと。
「たかが」って…。
移植を待っている方と、このコーディネーターと説明医とは関係ないとはいえ、不安、というより、腹立たしく、この人達に納得感がないまま、移植手術を受けるということに、なんとも複雑で晴れない気分です。(最終同意前ですが受けようと最初から決めています)
リスクはコーディネーターがどうこうして回避できるものではないのだから、せめて、ドナーになる人の気持ちになって、一緒に進めるくらいの立場でいてほしい。あまりに中立、事務的で、本人の意思重視志向が強く、このことが、責任回避に見てとれて、嫌悪感が強くなってしまいました。
コーディネーターの変更がてきるなら、してもらいたいです。
としさん
コーディネーターさんの変更希望した方がいいと思います。
5年もたっているんですから説明すべきですよ。
コーディネーターとしての職務怠慢としか言いようがないですよ。
危険はあるでしょう!
絶対、骨髄バンク事務局に連絡するべきだと思います。
先日、オレンジの封筒が届きました。3年前にも届きましたがその時は体調不良で保留しました。
今回は一応体調良好ですから返事はしました。
コーディネーターさんも決定したのですが、なんだか急いでいるような口ぶりと問診採血すると断れないと言われました。ドナーより患者さん優先かと感じています。家族会議して最終的にどうするか決定します。今は半分半分ですね。
昨年12月に骨髄移植をしたものです。
今日、患者さんよりお手紙が届きました。
簡潔な文章でしたが、うれしかった。
無事でいてくれたことが分かったから。
すっかり忘れていたけれど、その間も患者さんは大変だったんだろうな。
とにかく、無事でよかった。
手紙があるときはだいたい成功したとき
失敗したら手紙はかけない
つまりそういうことです…
ドナーになっていただき、本当にありがとうございました。
同じ立場のものとして、感謝しております。
はじめまして、こんにちわ。
私も登録して数年・・・まさか自分に届くだなんて思っていなかったので
正直、オレンジの封筒をあけるのに、物凄く緊張しました。
「迅速コース」ご希望とのこと・・・
患者さんのことはもちろん、私の現在の環境や、小学生の子ども
その他いろんなことをバァーッと考えました。
健常者だからですかね・・・全麻のことがとても不安で・・・
その他にも不安がないとは言えませんが、それでもやっぱり「自己満足」に
なってしまいますかね・・・自分の人生に後悔したくないというか、前者の方々も
おっしゃられていますが、苦しんでいる患者さんの辛さに比べたら大したことない
こんな自分でも、何か役に立つことができるなら・・・と思います。
昨夜、主人と子どもに説明し、同意を得ることができました。
40歳の節目に、これは何かきっと意味があるんだと信じています。
結局は「自分のため」のような感たっぷりですが、患者さんとこれから
頑張っていけるように取り組みたいと思います!
私は今ドナーの方を待っている物です。どうかどうかお願いします
オレンジの封筒がこの間来ました。
16年位前に登録したからもうこないものかと思ってたので少し驚いてます。
候補者経験が有る友人にメールでやりとりしたら
「進めるのも、断るのも同じ勇気」
大阪人らしいユーモアたっぷりの説明付きで両方の選択を応援してくれました。
やってみないとわからないことも多いでしょうが、とりあえずコーディネイト開始してもらいました。
あともう一つ、落ちてがっかりしない様にJHDACに毛髪寄付する予定で毎日トリートメント実施中です。
あまり気負わずに粛々と進めていきますよー。
皆さんのドナーに対する気持ちや不安、良く分かります。しかしあなた方のご好意で命をつなける人が居る事を忘れないで下さい。私はダメでしたけどね。残念です!仕方ありません善意ですから。
約9年前に、急性リンパ性白血病になり、骨髄移植をうけた者です。
両親、姉弟とは型が一致せず、骨髄バンクに登録して、入院から5ヶ月目に
移植をすることができました。
ドナーさんが決まったと報告を受けた日は、1人で大泣きしました。
見ず知らずの私のために、提供してくださる方がいるんだ・・・・と。
手紙は、すぐには出せませんでした。
なぜなら、移植後すぐに良くなるわけではないからです。
いくら型が一致しているとはいえ、他の方の骨髄が身体に入るわけですから、
人間の体というのは、拒否反応を起こします。
それをGVHDといい、皮疹、下痢、肝障害などを来たし、重症になると多くの内臓に障害が生じたりします。
私も、移植後、肺炎にかかり、再入院をしました。
なので、実際に退院できたのは、移植から5ヶ月たっていました。
移植が成功しても、そのあとのGVHDで、苦しむことが多いのです。
元気になったことをお知らせしたかったので、お手紙を出せたのは、移植から、9ヶ月たっていました。
骨髄バンクを通じて相手に届くので、相手には、もっと遅く届いたのかも知れません。
そしてそのあと、その方より、返信が届きました。
その手紙は、私の宝物です。
なので、骨髄を提供してくださる方は、なんで、手紙が来ないの?
と思われるかもしれませんが、どうかこんな状況だということをわかってもらえたらと思って
書かせて頂きました。
骨髄を頂いたのに、感謝していない患者はいません。
ひたすら型のあうドナーさんにめぐり合えることを祈りながら毎日、辛い治療しながら
待っているのですから。
日本のどこかにいるあなたへ。
私は、あなたのおかげで元気に生きています。
2回目のオレンジ封筒が届きました。
前回は調書を出してすぐに、腰に疾患があるということで、コーディネイト終了のお知らせが届きました。
前回から3年後のほぼ同じ時期で、また迅速?80日タイプでした。
今回も提供の意思は示しましたが、腰の疾患で治療中なので、今回もすぐにコーディネート終了かと。
適合しても、毎回腰の疾患の為に断られるので、もう登録しないようにします。
昨日、骨髄を提供しました。痛みも余りなく、思ったより軽く終わった(いちばんつらかったのは、尿道カテーテル)ようで、明日、退院です。
このページはついさっき知りました。
私は45歳のおっさんですが、大変満たされた幸せな気持ちです。患者さんの完治を祈るのみです。
このサイトは情報が不足するなか、大変参考になりました。
もしかしたら参考になればと思い情報を追加します。
東京都福祉保健局によると、骨髄移植の成功率(術後5年生存率)は64.5%、さい帯血移植で52.3%となります。
骨髄移植のほうが高いです。ただ、さい帯血は患者とドナーの適合率が高く、ドナーのリスクがありませんが、骨髄移植は特定のドナーが必要で、ドナーの負担とリスクがあります。
自分は21歳なのですが彼女が重度の貧血で後に白血病のような症状が出て死に至ってしまう病に侵されてしまい若い命を救えるのなら、と骨髄提供をしたいのですが
大変わがままなのですが自分より若い命なら苦痛に耐えられます。
年齢を聞いて断る事も可能なのでしょうか?
99%が手紙送りたいと思ってても
拒絶反応や副作用とかそういうのと戦ってて返事できないかもしれんやろ
一年以内にしか手紙遅れないっちゅう制度は間違ってる。
あんたが立派な事したっちゅうのはみんな知ってるで
最終同意後、手術直前にコーディネート終了となりました。
覚悟もしたところだったので力になりたかった。
患者さんの年齢、性別、身長、体重を知れるのは最終同意後、入院の日程が決まり、入院する病院での検査(血液、心電図、肺活量、レントゲン等)の時でした。
最終同意後は基本的には移植手術を断ることができません。
手術前の処置として患者さんは致死量に及ぶ抗がん剤を投与されますので、ここでドナーさんが移植やめる、となったら患者さんは肉体的に大ダメージを受けてしまうだけになってしまいます。
今日、二回目の最終候補者に選ばれました。いまから採取日まで患者さんのために生きようと思うよ。過去の書き込みに自分に酔ってるとかあったけど、誰かの役にたてるんやからすごいよねー。だけどリスクもあるし、やったことないひとからしたら不安はだらけ。候補に選ばれて結果断って、後悔する人いるけど、しょうがないじやん、後悔しなくていいし、誰もせめることもないと私は思うよ。ひとそれぞれ考え思いがあるわけやし。
おひさしぶりです。みにです。
提供したことは、提供者さんととドナーさんが生きた証。そして、登録をするきっかけとなった(亡くなられた)ご友人が生きた証。
生きた証は、ひとそれぞれですし、色々&沢山あると思いますが、そんな証のひとつなのかなって思いました。
手紙や相手の情報がなくても、提供できた自分、提供を受けられた自分、提供した事実、提供された事実、そんな自分が、そんな事実が嬉しいって思える自分であることが、大事なのかな・・・。
私は、骨髄バンクの存在は知っておりましたが、登録までには至っておりません。
家族や身近な存在のために、自分のために生きるのがやっとと言うか、追われているような生活をしています。
小学校の頃、仲は良くなかったのですが、入退院を繰り返す同年代の子がなくなったのを覚えてます。
一言二言話したことがあるくらいの記憶しかなく、まだ死について理解できてなかったのかもしれません。
こちらの皆様の投稿を見て、思い出したのが正直なところです。恥ずかしいことですよね。
忘れてしまっていたのが、なぜだか分かりません。
恥ずかしいことですし、とても残酷で人としてどうかと思いながら今入力してますが、同じような境遇の方に参考になれたら幸いと思い、ありのまま記載します。
それから数年前のことですが、会社の上司が白血病で入院し、3年間病欠してました。
その後、仕事には復帰できない体調とのことで、自主退社をしました。
免疫が低下しているため、内勤でも難しいくらいの体調とのことでした。
上司は、とても部下思いの優しい方で、私も数え切れないほど、仕事のノウハウや社会人としてのモラルなどを、教わりました。
尊敬している先輩の1人です。
会社は、病欠の間の約3年間、上司の席を置いていましたが、景気が良くない年と重なり、やはり負担もあったようで、本人と話し合い、自主退社となりました。
私はその報告を後日知り、社長に抗議をしたのを今でも覚えています。みんなの給料を少し下げて、なんとかならないのかと。
その上司とは今でも年賀状のやりとりをしてます。お見舞いに行きたいのですが、無理をされても悪いと言う思いで、行ってません。
近所までは何回も行きましたが、やはりこっちの勝手な自己満足で無理をされては困ると思ってます。
急変することもあるとのことなので、今は年賀状で良い方向に向かっているのかな?など考えながら今日に至ってます。
記憶が曖昧ですが、骨髄は実の姉か、親からと話伝えで知りました。
本当は適合者が見つかるのは大変な事なのに、すぐ見つかって良かったと。
あぁ、兄弟やら親なら意外と合うから見つかり易いのかな?と少し誤認識してました。
このような境遇の私ですが、骨髄バンクに登録したい、と考えたことは何回もありますが、実際には行ってません。
明日の朝、予定を変更してバンク登録に行くか、と言われたら行けないと思います。
ただ…
骨髄バンクを、苦しみながら待っている人がいるということや、実際に待っている人の投稿を見て、自分も役に立つのなら、との気持ちになりました。
ここの皆様の投稿を見なければ、このように考えは変わることが無かったかもしれません。
兄弟など、意外と見つかり易いから、あえて自分は登録しなくてもいいかな、という誤認識。
待っている方の声を知り、協力したいという思い。
やっと見つかったとしても必ずしも多くない生存率というか、適合率。尚更1日でも早く登録したいという思い。
ドナーは、待ってる方や、病院に歓迎され、当然高待遇だろう、という想像と実際。
手紙や感謝の意は、骨髄の手術後、当然すぐ届くだろうと思っていたが、すぐは無理だし、届かないこともある。
これらのことを、知ることができて良かったです。
少しでも多くの方が、こちらのような色々な投稿を見て、ドナーに対して前向きな考えになって欲しいと思いました。
すぐにとは言えませんが、登録の方向にて進んでいきたいと思います。
長々すみませんでした。
噂程度の認識しかなかったドナー登録。
高校からの友人が、この夏に発覚し、今戦っている。
初めて、いろいろ調べた。
調べている間に、秋になってしまった。
週に1度程度のお見舞い。。。
励ますつもりで行くのだが、逆に励まされて帰ってくる始末。
何か、力になりたくて・・・
震災の時も、テレビの前で涙し。
オロオロし、結局は寄付するだけ。
こんな、私で役に立てるのなら、力になりたい。
今度は、行動にだすつもりです。
自己満足でもいいと思う。考えてても何もはじまらない。
行動あるのみ!!
彦坊主さんと同じ気持ち!私も子供が三人居ます。
もし、何かあったら、助けてもらいたい。
友人の病を無駄にしない為にも。
家族に話、説得してみます!
みなさんのお話はとても参考になりました。
思いがけない事や、そんな事もあるんだと
先に分かっていれば、大した事じゃなくなりますねっ!
ありがとうございました。
つい先日オレンジの封筒が届きました。既婚者で子供もいます。学生の時に軽い気持ちで登録して約15年、もう一致しないまま終わるのかなと思っていました。結論から言うとコーディネートを進める方向で返信しました。一番の不安は、職場の理解が得られるかなのです。まだ上司には伝えていません。会社での立場は弱いほうです。入院だけではなくて、その前の通院も何日か仕事を休まなくてはいけないのが・・もちろん人の命がかかってるのだから、小さいことだと思います。ただ、別のサイトで見たのですが、「会社の上司が、休ませられないと反対された」、とか言う相談をされたかたがいて、それに対してのアンサーが、あんたは甘い、上司が正しい、というような内容があまりに多く、こんなもんかと無性に悲しくなり涙が出ました。検査を受けて次に進むことになったら上司に言おうと思いますが正直気が重いです。
10時間まえに、オレンジの封筒が届きました。登録して13年。後1年で、登録期間も終了適合者いなくて終了と思っていたら届きました、とても嬉しくて喜んでいます、自分には、孫がいます生後5カ月で原因不明で首の所のリンパが腫れて3ヶ月間入院しました。変わってあげたいと思ってもかわれない、自分が何もできない、ただ、孫見ているだけし、か出来なくてとても、辛かった、病棟は他に小さいお子さんたちが病気と闘っていました。孫も何事も無く4歳になり、これからも、何が起こるか分からないので心配です、自分が人様に役に立つのかな、と思い嬉しいです、自分はもう54歳、骨髄ドナーは最初で最後かもしれないので、頑張りたいと思います
私の意見、迷っている方は、辞めた方がいいですよ、断る事は、別に悪いことではないと思います。自分自身も大事ですから。
骨髄移植での死亡例が1件とありますが、骨髄採取の際に事故ではなく、どの手術の際にも必ず説明をされる麻酔のアレルギーでの死亡だということを御存知でしょうか?そして、それが骨髄バンクを通しての事故ではなく、親類間での骨髄移植手術に向けての事故だったということも。
その事実を知ったところで、不安は払拭されるものでは無いと思います。確率云々ではないだろうし、比較するものも違うかも知れません。
骨髄バンク側は、もう少しオープンにできるところはないのでしょうか?
ドナーが、ドナー候補者が、ドナー登録を考えている人達が、不安や不満を抱く材料があることに気づいてるハズなんです。
登録の際に協力してくれる赤十字などに遠慮していますが、配慮するところが違うのではないかと思っています。もっとドナーに配慮して欲しいと思います。それが患者さんの命に配慮することに繋がると思います。
そこまで言われても、御上が…資金が…とか言ってるから変わらない。実際に動いているのは、登録数を上げているのは、そんなものに全く関係の無い人の心です。それに配慮して欲しいと思います。
赤十字側に負担を被らせない形で、もっともっと説明をしていけば、登録者も増えて、候補者の不安も少なくなると思います。ドナーになった後も納得して日々を暮らし、また、再度の骨髄提供の意思を持ってくれるのかも知れません。
月曜日オレンジ色の封筒が届きました。現在50歳。恐らく登録したのは20年くらい前です。全く予期していなかっただけに、動揺しています。なせなら以前のように専業主婦でしたら直ぐににコーディネイトをお願いしたでしょうが、現在離婚し3人の学生を抱え、日々奮闘している中、時間的に体力的に対応できるのか不安を感じています。自分の中にある迷いが払拭できず、少しでも考えがまとまればと思い探していましたら、こちらのサイトにたどり着きました。迷いがある自分に情けなさも感じていたので、皆様の気持ちを拝読させていただき、色々な気持ちに触れることが出来ありがたかったです。今日、家族に話してみようと思います。
登録してるだけで超立派だとおもいます!俺も日本帰ったら登録したいと思います!