最近「○○系男子(女子)」とか「□□型人間」とか、とにかく人間を型にはめる表現が多い。
これはメディアや広告代理店の戦略であり、かつ最近始まったことでも何でもないんだけど、個人的にはいい加減いいんじゃないか、と思ってしまう。
人は、とかく自分たちを「分類」するのが好きだ。
典型的なのが血液型で性格を判別すること。代表的なものだと、
A型:神経質
B型:マイペース
O型:おっとり
AB型:二重人格
といったところか。
ちょっと考えれば分かることだが、こういった性格は「誰でも持っている要素」である。
「A型は神経質」というのが一般化されているため、本当に自分が神経質だと思い込んでいる人までいるが、仮に「A型はおっとり」と入れ替わったとしても、当人はそのように認識するだろう。誰でも二重人格な面もあれば、マイペースな部分もある。人はそんなに単純じゃないはずだ。
人間には「所属欲求」というものがあると言われる。
これは、自分のアイデンティティを示したり明確にしたいための、肩書きや集団への帰属欲求など。
この「集団への所属の証」は、安心につながる。「自分は人と違う」という認識は、時に人を不安にするものだ。
しかし、これがあまり過ぎると良くない。
人間本来や、人生に立ちはだかるものはもっと複雑であるのに、安心感を得るためだけに物事を不必要に体系化、単純化してしまう。やれ草食だ、やれ文系だ、やれ右脳型だと。
別に他人に対しては構わない。「あの人は草食系だよな」と思うくらい、どうってことはない。
しかし自分にあてはめるのはやめた方がいい。「オレは草食系男子だから……」みたいな。
なぜなら、その後に続くのは否定語がほとんどだからだ。
「オレはオタクだから仕方ないんだ」「もう××歳だから遅すぎるんだ」
これは冷静に自己分析しているようで、本当は欲しているのに、勝手に自分で限界を作って、言い訳の材料として一般論を持ち出しているだけだ。型にはめることで安心して、それ以上の思考を停止してしまっている。
そもそも、本当に不可能だと思っていることを、人は欲しない。
例えば野球の未経験者が、40歳になって一から野球を始めて大リーグで首位打者になろうと考えるか?
迷ってる時点で、そこには可能性があると、少なくとも自分はそう思っているはずだ。
そして、一般的に成功していると言われる人は、こういった志向が少ない。自分を「○○系」とか「△△型人間」にあてはめないし、そうすることを嫌う。例えば堀江貴文氏のこの発言。
これは、あまり型にはめてしまうと、自分を解放できなくなってしまうからだろう。他でもない自分自身に限界を作って、いいことなんてあるはずがない。
前述のように安心感をもたらすことも確かにある。それに、これを貫くには強靭な精神力がいる。
だから「自分は今、型にはまってないかな」とたまに意識できるようになりたいところ。
ちょっと本題とずれてしまうけど、イギリスのジャーナリストで思想家、ウォルター・バジョットの名言を最後に記して、説教モードを終了としたい(汗
The greatest pleasure in life is doing what people say you can’t do.
「人生における最大の喜びは、他人が『君には無理だ』ということを成し遂げることだ」