いつも通りの平日の朝。
クライアントのとある女性スタッフが自ら命を絶ってしまったというニュースは、そんな日常に飛び込んできた。
我々は、急遽降りかかってきた膨大な仕事に追われることになった。それはほぼ一日中続いた。
仕事に忙殺されている間、私は少し彼女を恨んだ。
こんな風に予定外の仕事に追われているのは、彼女が突然死んでしまったことが原因だ。
彼女は当然、そんなことは知らないだろうが。
それほど親しかったわけではない。
会ったのも数回きりで、よく気のつく、いつもニコニコした若い女性という印象。
信頼するスタッフたちは皆、テキパキと事務的に業務を進めた。
「(彼女が死んだから)ここのフォロー頼む」
「(彼女が死んだことでできた仕事が)終わりました」
まるで彼女はまだ生きていて、口にしたら本当になってしまう。そう信じてるみたいに。
「彼女はもういない。そのことで発生した仕事も仕方ない、もちろんやるさ」
それでもやはり、我々はみな大きな喪失感を抱えていた。
「だけどどうして…… どうしていなくなってしまったのか……」
どんな個人でも、突然いなくなれば影響が出る。たくさんの人に迷惑を掛けることになる。
それは仕事の後始末なんかじゃなく、内蔵がえぐられるような心の痛みだ。
皮肉なことに、その人が傷つけたくないと思っていた人ほど、その痛みは大きい。
我々は直に通常の生活を取り戻すだろうが、彼女の家族や友人、大事な人達はどうだろう。
時に死んでしまいたいと思うことがある。
「死ぬ気で頑張れ」「死ぬ覚悟があれば何でもやれる」
そう言う人は、本質を分かっていない。もう頑張れないから死んでしまいたいと思うのだから。
自分の未来を憂い、思い悩む日々がある。自分の存在価値を疑い、自己を責める時がある。
彼女の苦しさがいかばかりだったのか、私には知る由もない。
だけど私は、あなたがいなくなって寂しいよ。とても。
残された者として、あなたのいない日々を暮らしていくのはとてもつらい。
私は誰かに喜びを与えることができているだろうか。それは分からない。
でもただ「生きている」それだけで、誰かにこんな大きな悲しみを与えずに済む。
それだけでも、生きていく意味っていうのはあるはずだろう。そう思わないと、もうここに立っていられない。
さようなら。またどこかで。