菅首相が辞任し、野田新体制が発足することになった。
すぐに支持率の調査が行われ、ある程度の期待が集まることだろう。
しかし野田さんが神のような名宰相でない限り、その支持率はすぐに右肩下がりになるだろうと思う。
大震災で弱体化した今の日本には、解決すべき問題が山ほどある。
復興のためには増税もしなければならないだろうし、例えば労働人口の減少を補うためには移民だって受け入れる必要があるかもしれない。
でも多くの人、そしてマスコミはそれに対して条件反射的に「増税反対」「売国政権」と叫ぶことだろう。
そしてこれも毎度のことだが、政権が交代する頃にようやく、まるで惜別の念を送るかのように「ボロクソに言われてたけど、まぁこれだけのことをした人だったよね」という肯定的な評価が入る。
http://jp.wsj.com/Japan/node_295384
どうして毎度毎度こうなるのか考えてみた。
自分なりの結論は、根底に「トップが変わるとすべてが好転する」という「幻想」があるのではというものだった。
この5年で6人もの首相が現れては消えた。
日本では、国民が直接トップを選べない。
自分たちが選んだ人(≠政党)であれば、多少嫌な部分があっても我慢するのだろう。例えばアメリカなら、4年は絶対に変わらない。嫌で嫌でしょうがないことがあっても、すぐには変わりようがないのだから、じゃあ良い方向に持って行くには自分たちに何が出来るのか、という方向に思考が転換するのだろう。
日本ではそれができないから、皆堪え性がなくなり、次から次へトップをすげ替えることで事態が好転すると思っている、またはそう思いたいのではないだろうか。
「お前なんてダメだ、次々!」
トップを次々に変えられるこの状況って、ひょっとして麻薬のような中毒性があるのかも。。
麻生太郎という首相がいた。
カップラーメンの値段や漢字の読み方という、国を動かすという職種にとって本当にどうでもいい瑣末なことで糾弾された首相だった。彼が行ったこと、菅総理と同じように辞任を迫られながらもギリギリまで戦ったその成果は、今となっては評価する向きのほうが多い。
トップが変われば何か劇的なことが起こるんじゃないか、救世主のようなリーダーが現れて日本を変えてくれるのではないか。
そんなことはもう幻想だと割りきって、今自分たちに何が出来るのかを考えるべきではないかな。