評点:50点(100点満点中)
『スチュアート・リトル』『シックス・センス』などでお馴染みの、M・ナイト・シャマラン監督の2008年作品。
あらすじは、ある日突然原因不明の自殺が多発し、みながその恐怖におののくというもの。
人々は、理由もなく突然ビルから次々と飛び降り、銃口を頭に向け始める。
個人的にも注目株の、マーク・ウォールバーグ扮する主人公は、その「目に見えない恐怖」から妻と親友の子どもを守りながら逃げ惑う。
世間が不安定だとパニック映画が多くなるといわれるが、これもその中のひとつだろう。
とにかく得体の知れない、立ち向かう術もないような「絶対的な」ものから逃げまくる映画だ。
恐怖感のあおり方は、こういう言い方は語弊があるかもしれないが「品がある」という感じ。
劇中では何百人という自殺体が出現するのだが、グロテスクということではない。思わず目を背けたくなるような場面を、あくまでちょっとずつ挟み込むことにより、ただのスプラッター物とは一線も二線も画す作品だ。
殺人鬼に追われるわけでもなく、誰かから殺されるわけでもない。ただ「自ら死のうとしてしまう」という常識ではちょっと考えられない恐怖感を、うまく表現していたのではないだろうか。
しかし、この映画でどうしても許せないシーンがある。中盤、子どもがライフルで撃ち殺されるところだ。
病気や事故、または明示的に表現する場合は別として、「子どもの死」というのは簡単に用いられるべき表現ではない。
駄作ではあったが、以前レビューした『ミスト』のように、それに意味があるのであればいい。しかし今回の場合あのシーンで子どもがいる必要はなく、ただ観客の不安感を煽るためだけに子どもが使われた。
ハリウッドでも日本でも、映像制作を心がけるものにとって暗黙の了解ではなかったか。そんなタブーを犯してまで作品を盛り上げようとする、逆にそうすることでしか盛り上げることができないのならば、監督の力量不足といわざるを得ない。
私はそのシーンひとつで一気に気分が悪くなってしまったのだが、作品としては決してつまらないということはないので、他に観るものがないなぁ、なんて時に観てみるのはいいかもしれない。
以下はネタばれなので、未見の方はご注意ください。
それにしても、この手の映画で「結局、原因がなんだったかは分からない」というのはどうなんだろうか。
突然人々が自ら死に向かう、というショッキングな内容であるにもかかわらず、その原因がよく分からないという。植物のせいかもしれないが、はっきりしない。大勢でいると罹りやすいという、明らかに帳尻あわせの性質。
サスペンスやホラーで観客を怖がらせるのは、数々のテクニックがあるので比較的簡単だ。
しかし、観客が納得するようなラストにするにはどうすればいいのか、ということにみんな頭が爆発するほど悩むのだ。
だからこういうのが許されてしまうと、何でもアリになっちゃうよね、という感じもしないでもない。それこそ夢オチでも何でもよくなってしまう。
個人的に、こうして結末を観客にゆだねる映画が好きではないからかもしれないけれど。