[読書]金融工学の悪魔 吉本佳生

現代金融工学のさきがけで、1997年にノーベル経済学賞を受賞した「ブラック=ショールズモデル」をメインテーマにしながらも、「金融工学は決して難しいものではない」「ブラック=ショールズモデルを知っていたからといって儲からない」という持論を展開する、おなじみ吉本佳生の書籍。

明快な文体と分かりやすい解説はいつもどおり。「金融工学」というものに全く知識がない人でも気軽に読み進められると思う。ただし、経済全般の簡単な知識は前提として書かれているような気もする。

「ブラック=ショールズモデル」は、金融デリバティブ商品のひとつである「オプション取引」に関係の深い言葉。ご存じない方はWikipediaを参照してください。

もちろんこの式に対する解説はあるものの、完全に理解する必要はない、と筆者自ら説く。彼の持論は「ブラック=ショールズモデルを理解したところで、株で成功するわけでも何でもない」ということ。

確かに、このモデルを開発した本人、マイロン・ショールズが自ら立ち上げたファンドを二度も潰しているところからも、金融商品で儲けるための絶対的な方法など存在しないことが証明されているのかもしれない。

それにしても、ノーベル賞を取るほどのいわゆる「天才」学者が、最新のコンピュータ設備を伴って鬼のように複雑な計算を行っても株で儲けることはできない。

バフェット、ソロス、日本で言えばbnfやcisなど著名な個人投資家は多いが、彼らの能力は、それこそ野球のイチローのように相当特殊なのだろう。実際bnfは、イチローが5年契約で結んだ110億円の倍近い200億円という額を、20代で既に所有している。

話が大分それてしまったが、「金融工学」に興味がある人の入門編としては非常に適しているのではないだろうか。

「プロしか知らないなんだか複雑な式があって、それを使えばまるで錬金術のようにお金を生み出すことができる」
しかし、そんなことはまやかしなんだということが分かるだけでも、読む価値はある。

逆にこれ以上の知識は「学問としてきちんと学びたい」という人以外は求めなくてもいいかもしれない。

金融工学以外のテーマもいくつかちりばめられている。
例えば、(FXではない)外貨預金に関して「(一般の人に)外貨預金は勧めない。それは、円安になったら儲かるが、円高になれば損をするという「一方にしか賭けられないギャンブル」に投資すべきではないから」など、金融の基本知識を応用した、氏の実践的なアドバイスは(株式に傾倒している部分も否めないが)非常に勉強になると思う。

Gyao買収で、ヤフーとUSENのそれぞれの株価を見てみた

Yahoo!動画とGyaO統合、「権利者を尊重する」No.1動画配信プラットフォームに

久々の大き目の買収案件で、次の日の株価がどうなるか注目していたのだけど、思いっきり予想通りの結果になっていた。

USENの株価といえば「金融危機?なんだいそれは」と言わんばかり、一年以上前から見事な右肩下がりだったのだけど、今日は日経平均が大幅に下げたにも関わらず、何と+31%超の、場中一度も寄り付かないストップ高。

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市場次第とはいえ、大幅な信用買残があることからも、明日も株価の上昇の可能性がかなり高いだろう。

一方のヤフーはというと、-1.69%と小幅下げ。今回の件が影響していたとは思えないけれど、少なくとも市場は好感しなかったっぽい。

動画配信サービスは、あのYouTubeでもいまだに黒字化できてないわけで、相当に困難なモデルなんだろうと思う。
設備投資費に対し、回収が圧倒的に間に合っていない。

市場もそれを分かっていて、USENがGyaoというお荷物をようやく捨て去ったことを好感したのだろう。

それにしても「動画配信」が、まるでババ抜きのババのようにWeb業界で扱われる日々は、まだ当分続くんじゃないだろうか。

TVは殿様商売だといわれ続け、実際にそうなんだけども、それでもやはりあれだけ多くの才能(出演者、スタッフ含む)が集まる成熟した業態を、登場して十数年あまりのWeb上で展開するというのは中々難しいんだろうと思う。
人気のある芸能人はTVにこそ出演すれど、ネット放送に積極的に出るわけではない。彼らにとってTVが最高に位置するとしたら、ネットなどそのはるか下だろう。少なくとも当分はこの状態が続いていくと思われる。

そこには「放送業務の事実上の独占状態」という、まさに利権の塊の、一筋縄ではいかない事情があるのだけど、この硬直した世界をぶち壊せるのもWebしかないと思うので、できることは何なのか日々考えていきたい。

新入社員の方へ 部下を叱るときは、叱られるときより緊張するものです

会社勤めであれば、まぁ最初は普通、誰かの下で働くことになる。
私も数々の上司に会ってきて、もう衝突しすぎて、目もあわせられないほど人間関係がボロボロになってしまった人もいれば、本当に心から尊敬でき「こんな風になりたい」と思える人もいた。

ただやはり部下という立場だと不満が多くなりがちというか、自分のやりたいようにできずストレスがたまることが多い気がしていた。

しかし、部下を持ったら持ったで、また別の大変さがあるものだということに最近気づきはじめた。

まず、やはり人間には色んなタイプがいる。
若くても、いや若いからか、自分の意見が正しいと信じてがむしゃらに主張してくる人。
それはそれですばらしい特性なのだが、如何せん一度思い込むと周りがすっかり見えなくなることが多い。たとえ失敗したりしても「自分は正しいと思った。悪いことはしていない」となりがちだ。
思わず「言い訳するな」と言いたくなるのをぐっとこらえて、間違いを正したり、助言を与えられる際、なるべくプライドを傷つけないように苦心する。

そういう時は、例えばまず相手の意見を認めたうえで「では、こういう角度から見るとどうなる?」とか、とにかく別の視点を与えてあげる。
いったん納得すると、次からきちんとそういう考え方ができるようになるから不思議だ。

辛抱たまらず「いいから、とりあえず言った通りやっておいて」と言ってしまったら一巻の終わり。
こちらの信頼も失い、「意見を主張する」というすばらしい長所もつぶしてしまうことになるからだ。最悪、腐って何もしなくなることもある。基本的にプライドが高いので、それを取り戻すのは非常に困難だ。

反対に、中々自分の意見を言えないタイプ。これはこれで困る。
知識も豊富で頭もいいのだけど、大人しい人に多い。会議中などに「本当はこうした方がいいのに」とか「あぁ…このデータは間違っているのになぁ…」など頭の中では分かっているのに、口に出すことができないようだ。
そして、会議が終わった後などにこっそり「あの、僕思うんですけど…」とはじめる。そして、大概その意見は正しい。
本人もそれを分かっているから、意見を主張しないことが悪いことだとは思わない傾向がある。「ほら、やっぱり僕は正しかった」と納得し、満足してしまうようだ。

基本的にこういうタイプは真面目なので、何かにじっくりと取り組ませるとすごく実力を発揮する。なので、なるべくそういう仕事を回すように心がけるのだけど、やはり「人前で発言する」という能力は、ほとんどどんな職種でも必須だと思うので、何とか身につけて欲しいと願う。

しかし性格を変えることは非常に困難だ。その場合私は、
・会議は決定の場だから、何も発言しなければ同意したことになる。
・発言することも仕事だと思って、訓練するように。
・間違いを恐れない。誰も君の間違いなど気にしない。ほかの人が間違ったことを言っても君が気にしないように。

と、まぁ当たり前のことを伝えるようにした。それでも中々難しいこともあるが、頑張って発言しようとしている姿を見ると、表情には表さないが心の中で猛烈に応援してしまう。

そして、困るのは注意する時とその基準だ。
期限を守れなかったとか、頼んだ仕事を忘れていたとかいう凡ミスなら簡単だ。
しかし、部下が何となく自分の想像していた方向と違う方に歩みはじめている時、それが正しいのかどうか分からないことがある。これが非常に困る。

それは、結局「自分の経験」という物差ししかないからだろう。
想定外のことをしているけど、これは若い感性だからゆえなのかもしれない。このまま行けば、大成功するかもしれない。行かせるべきか、止めるべきか… それだけで何日も悩んだりする。

そういう時は、もう全部さらけ出して話すことにした。
「私の経験ではこうだったのだけど、君はどうしてそうするの?」みたいに。それで、なるべくお互いにモヤモヤを残さないように努める。
結局、とことん話し合うことが一番大事なのかなぁと思う。それでも不服そうなことがあるのが困るのだけど…

そして、これまた悩むのは生活上のことだ。
ティッシュの箱をつぶさないで捨てるとか、くしゃみをする時に手をつかわないとか、そこまで私が言うことでもないよなぁ… などと考えると、どこまで言っていいものか非常に悩む。
正直「いちいち小姑みたいにうるさい奴だ」と思われたくもないし、でも「ここで直さなければ、このさき恥をかくことになる」という思いもある。

上司から「○○君、ちょっといいかな」と切り出されるのは嫌なものだが、上司は上司で「これは彼の成長のためだ。ここで言わなきゃずっと気づかないかもしれない。今なら暇そうだな。よし、言うぞ」と思いながら結構ドキドキしているものなのだ。

新入社員のみなさん、上司に怒られることもあるかもしれないけど、上司は上司でそんな風に考えているので、怒られてもあまりへこむ必要はないですよ、ということです。

いや、へこまないでください。お願いします…

[ゲーム]Wii「428」に、次世代映像コンテンツの片鱗をみた

以前ゲーム会社でMMORPGを開発していたことがあるのだが、ビデオゲーム自体もう何年もやっていない。
それだけの時間と興味が(元々強かったわけではないけど)なくなってしまったからで、多分これから先も滅多なことではやらないと思う。

しかしこの「428 ~封鎖された渋谷で~
」は別だ。あの名作「街 ~運命の交差点~」の(正統なものではないにしろ)続編とも言えるサウンドノベルなのだから。

発売からもう4ヶ月近く経っているのだが、この間ようやく時間をとってプレイできたのでその感想をここに記したい。

「街」とその伝説をご存じない方は、是非Wikipediaあたりで確認していただきたい。

このゲームのジャンルである「サウンドノベル」とは、物語形式のゲームを小説のように読み進めていき、時折現れる選択肢に正しいものを選ぶことで先に進むというもの。

そして「街」および「428」が他のサウンドノベルと大きく異なるのは、主人公が複数いる点だ。ザッピングというシステムを使い、次々に主人公を切り替えていく。
昔、TBSとフジテレビが深夜にこの手法を取り入れたドラマ(同じ話が同時進行で流れていて、主人公が異なる。観ている側はチャンネルを「ザッピング」しながら楽しむ)を放送したのだが、一度きりで終わってしまった。個人的にはすごく面白かったのだけれど。

ある主人公の選択が他の主人公の物語を停止させる。例えば、何気なくドアの鍵を閉めれば誰かが閉じ込められてしまう、といった具合に。
通常の映画であれば、一筋の決まったシナリオを追っていくだけだが、ここではそれぞれの物語を観ている(プレイしている)側が自由に選択し、進めることができる。間違えたらまたやり直すことになるのだが、逆に、間違えなければ見られない話もある。

無関係に見える数名が、何気ない選択によってお互いに強く影響しあって日常を暮らしている。このゲームをプレイしていると、日常というのもそんなことの繰り返しなのではないかと実感できる。

私は映像制作の仕事をしていたこともあったのだけれど(色々やってるな… 悪い意味で)、原作を手がけた長坂秀佳氏がその時感じていたのと同じように、従来の映画やドラマ、それに小説ではできなかった、ゲームを加えたからこそ可能になった新しい映像コンテンツの登場を見た覚えがした。それほど「街」には感動したのだ。

そして、今回の「428」。個人的には、「街」を越えることはないだろうと思っていた。
続編が初代を越えることの難しさ、しかも比較対象があの名作であるのだから尚更だ。

しかし、本当に期待以上だった。「超えた」とは言わないものの、少なくとも「並んだ」と言っていいと思う。以下は「街」との差異を元に記載したい。

前作が無関係の8名が主人公だったのに対し、今回はひとつの大きな事件を軸として、それに関係の深いメンバーで繰り広げられる。その点は非常に大きな違いだ。
それと関連し、コメディとシリアスに明確に分かれていたシナリオが、全体的にシリアス一本に統一されている。

ゲーム中では、すべての主人公の物語を1時間進ませなければ、次の時間には進めない。これは一日単位だった前作と同じだ。
あえてこのようにすることで、次の展開を期待せずにはいられない。「次を、次を」と時間を忘れてどんどん引き込まれてしまう。

登場人物の多彩さも魅力だ。そしてこの点では「428」は「街」にかなわなかったかもしれない。
目に見えない少女、東大を首席で卒業しているのに定職に就かず警官のコスプレでパトロールをする渋谷で生まれ育った東北訛りの男、街のあらゆることを番組のネタにしようとするTVプロデューサー… あげればきりがないほど、「街」には本当にいい意味でくだらないキャラクターがたくさんいた。

しかし、クライマックスに近づくにつれての物語の盛り上がり方、早く結末が知りたいような、しかしこの世界が終わってしまうのはとてつもなく寂しいような、そんな感覚は「428」が上だった。
複数の主人公たちを操り、だからこそ見えてくるほかの主人公たちの心情や行動を理解し、魅力的な世界観にグイグイと引き込まれていく。

私は最終的には攻略Wikiまで見て、すべての物語をコンプリートしてしまった(それにしても、アニメーション版の作者の独りよがり以外の何者でもない文章は、本当に読み進めるのが辛かった… 途中からは完全に読み飛ばした)。

これが文字ではなく動画で再生されるようになれば、本当に映画とゲームが融合する日が来るのかもしれない。
今度こそ、次世代の映像コンテンツが生まれてくるのかもしれない。

10年前に「街」をプレイしたときに思ったのと同じ感情を、あの頃よりグラフィックや構図など、見た目のクオリティの面が格段に上がった「428」をプレイして感じた。

・Wiiを持っている
・アクションゲームは苦手。頭を使うゲームが好き
・小説を読むのが好き
・登場人物の役者さんの誰かのファン

という方は、是非プレイしてみていただきたい。
遅くとも30時間程度で終了でき、濃密な、絶対に後悔しない時間を過ごせると思う。

[映画]『ツォツィ』 ギャヴィン・フッド監督

評点:55点(100点満点中)

アカデミーつながりでもうひとつ。2005年の外国映画賞を受賞した作品。
それにしても、観る作品が微妙に今更感漂うが、気にしない気にしない。

舞台はアフリカ。
豪邸に住む富裕層と、吹きざらしの土管しか住むところがない子供たち。今アフリカが置かれている貧富の格差を、否応なしに見せつけられる作品だ。

主人公は、そんな貧しい環境で育った少年。若くして強盗や殺人を平気な顔でこなす、まるで感情というものが存在しないかのような彼は、ある日盗んだ車から生後間もない赤ちゃんを発見する。
すぐに返すこともできたはずの彼だったが、そうしない。赤ん坊という絶対的に無力な存在を前に、自分が体験できなかった親からの愛情を逆の立場になって追体験するかのように、また、自分は誰かの役に立っている、生きていて構わないんだと再認識するかのように、彼は赤ん坊と接する。

幼くして拳銃を操り、人から奪い、殺すことでしか生きられなかった少年。
この映画は、責めるべきはそんな少年ではなく社会であるという明確なメッセージが見て取れる。

この絶望的な状況が現在のアフリカで繰り返されているのだとしたら、相変わらず無力な自分を呪うことしかできなくなる。何とか好転してほしいとは思う、しかし自分から出かけて行って何かを変えようとするまでの行動力や勇気はない。
「この状況を見て、お前には何ができるんだ?」と、監督は観ているものに問題を叩きつけているのかもしれない。

しかし少し不満だったのは、少年の心が移り変わっていくところの描写が足りなかったこと。
彼は作品中で確実に成長し変化しているのだが、その心境の描写が物足りなく感じた。

85分という短い時間に編集したのは勇敢だったと言えるけれど、個人的にはもう少し観たかったな、というところ。