Webコミュニティを「普通の人」につかわせるのは、ムリなのかもしれない

Web上のサービスについて考えたときに、ターゲット層をどこにするかは当然考えることだ。
今や日本のネット普及率も(モバイルを入れれば)8割ほどで、ほとんどの人が何かしらの形で利用しているといえる。

しかしそれが、こと「コミュニティサービス」である場合、いわゆる「普通の人」に使わせるのは至難の業のように、今更ながら思えてきた。

私自身、一日中PCとWebに接することが多い。それは仕事のせいもあるし、単にWebが好きだからだ。
しかし、同時にWebをあまり活用しない友人との交流も欠かさないようにしている。
周り中みんながWeb漬けの環境にいると、ごく一般的な人のネットに対する態度、利用頻度、何を求めていて何を利用しているのかなどの感覚が麻痺してくるからだ。

ここからはあくまで私自身の体感だが、例えば、モバイルでしかWebを利用しない人でも、クックパッドは便利だから使うと言うし、ゴルフの予約のために楽天GORAはいつも利用する人もいる。
検索はもう完全に市民権を得ていて、その便利さも感じているようだ。

しかし、コミュニティサービスの代表格mixiでさえ、使わない人が何と多いことか。
昔からの知り合いなどは、今は知らなくともそのうち使いだすだろうな、と思って数年様子を見ていたのだが、一向に利用する気配もない。誘われてアカウントは作ってみたけど、一度もログインしていないという人もいる。この間、町を歩いていたら「俺、mixiもってねぇし」という会話すら聞こえた(これはまた意味が違うけど…)。

「面白さが分からないから」「使ってみればきっとハマる」
今まではきっとそうだろうと思っていたが、最近では、おそらく彼らはこの先もつかうことはないのだろうと思うようになった。

そういった人たちにはある共通点がある。

それは非常に単純で、Web以外の、要するにリアル世界で人と接することが多いということだ。

例えば営業の仕事をしていて、毎晩取引先の人と飲み歩く人。友だちの多い地元で働き、電話一本すればすぐに数人の仲間を集められる人。行きつけのクラブ(踊るほう)があって、行けば必ず一人は知人がいるような人。

そういった人たちは、まぁまずWebのコミュニティサービスを使わない。それはなぜか。

・リアル世界で忙しく、時間が取れない。
・人間のコミュニケーションを求める気持ちの最大容量というものは決まっていて、精神的に充足されるとそれ以上は望まない。
・そもそも身近にたくさんの人がいるのだから、友だちの近況を知る必要がない。
・自分の近況を伝え、それに対する反応を欲しがらない。

さまざまな理由を挙げてみたが、どれも結局は「Webコミュニティが必要なほどコミュニケーションが不足していない」「友だちとのコミュニケーションにWebが媒介する必要がない」ということではなかろうか。

そして、
・Webに頼るほどさびしくない(実生活以上のコミュニケーションは面倒)
というのが、実は究極なのではないかと思えてきた。

コミュニティサービスを使う人は、友だちの近況を知りたいという欲求もあるが、おそらくほとんどの人が、自分が書いた日記やコメントに対してのリアクションを求める。
日記にコメントがつかないことで凹み、1日に何度もあしあとを確認する。

それは、他人に見て欲しい、自分の存在を他者にしらしめたいという、誰もが持つ潜在的な欲求である。
しかし、実はそれはWeb以前はすごく難しいことでもあって、クラスで人気者になるためには、即興で面白いことが言えたり、芸ができたり、知らない人とすぐに仲良くなれたりする「強固な対人コミュニケーション能力」が必要であった。少なくとも、学級新聞を書かせたら最高に面白くても、いざ話してみると恥ずかしがって何も言わないやつは人気者ではなかった。

しかし、Webの登場によってあらゆることが便利になり、今まで「頭の中では面白いことを考えていたのに、それをみんなの前で言えなかった人たち」がそれを表現することが可能になった。
mixiやtwitter、2chにどっぷりとハマる人は、今まで不可能だったそのような欲求の充足をWeb上に見出し、依存するのではないだろうか。

だからこそ、そういった欲求が既に満たされている、決して少なくないボリュームの人たちにとって「Web上のコミュニティサービス」は、そもそも必要のない、-mixiやtwitterにハマるような人にとっては、何よりも大事なものであっても- もしくは生活の中で優先順位の低いカテゴリなのではないだろうか。

SNSなどがはじめて登場したころ、「交流が薄くなってしまう知人ともずっとつながっていられる。これはWeb上でしか実現できない、今までにないすばらしいサービスだ!」と感激したものだった。

「誰でもみな、Webコミュニティサービスの便利さを知り、生活や人生のインフラになる」
そう思っていたころもあったが、もう根本的に、自分たちの生活には「不要」な人たちが大勢いるんじゃないかと、弱気になってる昨今です。

読みやすい文章を書くちょっとしたコツ

仕事で文章を扱うことが多いのだが、文章には、やはり読みやすいものとそうでないものがある。

もちろん、構成力や表現力が大きく関わってくるので一概には言えないが「文章を読みやすくする」テクニックというのはあると思う。そしてそれは、気をつけさえすればすぐにできる。

※文法の正式な知識はほとんどなく、すべて自己流です。

1:なくても意味が通じる言葉は極力なくす、または代用

とりあえず、これに尽きると思う。

文章を書くうちについつい陥りがちなのが、話し言葉で書くこと。
推定、形容などは別として、「なくても意味が変わらないな」と思ったらなるべく削除する。

「ような、ように」

    黙って従うようなことはしない。
    黙って従うことはしない。

※削除しない方がいいケース(意味が変わってしまう)

    異次元からきたような物体
    異次元からきた物体

「なの」

    そういう訳なのだが
    そういう訳だが

「のだが(のだとetc…)」

    信じているのだが
    信じているが

「だろう」

    そうだろうと思う。
    そうだと思う。

「という、ということ」

    その理由というのは
    その理由は

「けれど、けど」

    ではないけれど、
    ではないが、

実際につなげてみると…

黙って従うようなことはしない。とにかく、そういう訳なのだ。
私はそう信じているのだが、彼もそうだろうと思う。
その理由というのは…

黙って従うことはしない。とにかく、そういう訳だ。
私はそう信じているが、彼もそうだと思う。
その理由は…

ほ~ら、少し読みやすくなった… かな…?

2:ひらがなを多用

漢字を適度にひらがなに置き換えるだけで、文章はやわらかみを増し、読みやすくなる。
論文などは別として、ブログの記事などでは有効な手法だと思われる。

どんな言葉をひらがなにするかは迷うところだが、私が気をつけているのは
「時(とき)」「事(こと)」「出来る(できる)」「等(など)」「物(もの)」「所(ところ)」など、比較的よく使う言葉が多い。
文章中で統一できていれば、例えばブログ全記事で統一する必要はないと思う。

    あの時、そんな事が。
    あの時、そんなことが。
    あのとき、そんなことが。

3:同じ語尾を連続で使わない

これはそのままで、語尾が同じだと読んだとき違和感があるので、言い回しを意図的に変える。

    事前にこれを見ていただきますと、スムーズに取り組んでいただけます。
    事前にこれを見ていただきますと、スムーズに取り組めます。

4:句読点と改行を活用

句読点のつけどころは人によって実はすごく差があるが、私は小学校で習ったとおり「読んだときに息つぎするところ」および「ブロック単位で独立している文章」を意識している。
また、普通なら必要な場合でも「」の前後にはあまりつけないようにしている。「」自体が文章を区切る目的を果たしているからだ。

難しいのは改行で、これはブログやメールだけの話になるが、以下の3パターンがあると思う。

a:段落ごとにいれるもの
もっともオーソドックスなもの。段落と段落の間に改行を入れるかどうかは、必ず入れる人と、違う話題になったことを意図的に明示するために入れる人がいる。

「アルファブロガー2008」というところから引っ張ってきた例文をつけてみた。
 小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一

b:レイアウトのために入れるもの
文章の途中でも、レイアウトを重視するためにあえて改行を入れるもの。
 大野事件の終焉:無罪確定

ビジュアル的に読みやすくなる効果があるものの、あまり入れすぎるとケータイ小説みたいになるので要注意。
また、ブラウザやメーラーによってフォントの幅も異なり、意図しないところに改行が入ってしまわないよう注意するのが結構大変。

失敗例:

    あたし、べつに大学なんかいきたくない
    し、
    ていうか、お前が決めんなよ、みたいな。

c:「オチ」のために使うもの
古くは「僕秩」のヨシナガさんから、「鬼嫁日記」まで、話のオチを引っ張るために、意図的に改行を多く入れる場合がある。
ただしこれは文章がうまいことが前提で、普通の人がたいしたオチもないのに多用すると結構ツライ。

失敗例:

    だから、声を大にして僕は言いたい!

    何も分かってない世の女どもよ!

    たまには僕にかまってよ^^;

特に「1」は、事実を述べたり意見を表明する文章に向いており、普通の日記や友だち同士の文章はもっと表現力旺盛な方がいいと思う。
また、当ブログで「ですます調」ではなく「である調」を使っているのもなるべく文章を短くするためなのだが、やはり威圧的という印象も与えてしまう。

初めからこれを意識して書く必要はなく、何も気にせずに一度文章を完成させてから、推敲時に添削するのが効果的だと思う。

今の金融危機が10分でわかる動画

タイトルの通り、主にサブプライムローンを軸にして、どうして今の金融危機が起きたのかを非常に分かりやすく説明している動画を発見した。
The Crisis of Credit Visualized

これを日本語訳すれば、小学校高学年でも理解できると思う。

あまりによかったので、初めて「Donate」ボタンを押そうかと思った。
まぁ押してないんだけども。


The Crisis of Credit Visualized from Jonathan Jarvis on Vimeo.

一応、以下に内容を訳してみたけれど、イラストもかなり素敵で見るだけでも何となく分かるし、全編英語だがかなり平易であるので、抵抗のない人は是非見ていただきたい。

原文を意識して、それこそ小学生でも分かるように訳したつもりですが、かなり意訳も入っており、かつ聞き取り違いなどあるかもしれませんが、ご了承ください。


    「金融危機」を説明するために、この物語の登場人物を紹介しよう。

    まずは投資家。そして、家を持っている普通の人たち。
    それから「モーゲージ」という言葉も出てくるよ。これはあとで説明しよう。

    投資家はたくさんのお金を持っていて、そのお金を利用しようと色んな組織が生まれるんだ。
    銀行や投資銀行、保険会社なんかだね。それらが集まって、いわゆる「ウォールストリート」ってやつが作られる。

    数年前、投資家たちは、たくさんある自分たちのお金をもっとふやすためにどうしたらいいか考えていたんだ。

    今までなら、安全なアメリカの国債を買っていたのだけれど、9.11という事件があって経済を強くするために、アメリカのお金の番人「連邦準備局(FRS)」というところの偉い人、グリーンスパンさんが、国債の利率を1%にするって決めたんだ。

    多くの投資家たちは「そんな低い利率じゃ結構だ」ってそっぽを向いてしまった。
    でもこれって、銀行の人たちから見たら「たった1%の金利でお金が借りられる!」ってことだよね。だからみんなFRSに殺到したんだ。

    銀行はどんどんリッチになった。おかげで、普通の人も銀行から簡単にお金を借りられるようになったんだ。
    しかしそのせいで、みんなが「レバレッジ」という悪魔に狂ってしまうことになるんだよ。

    「レバレッジ」を説明しよう。
    例えば、10,000ドルで買ったものを11,000ドルで売ることができたら、1,000ドル儲けられるよね。これこそ、まともな商売ってやつだ。

    でも「レバレッジ」を使うと、10,000ドルを銀行に持っていくだけで、99万ドルも借りることができるんだ。
    そうすれば、同じ10,000ドルのものを今度は100個買うことができる。それを売れば110万ドルだね。
    さっき借りた99万ドルを銀行に返しても、ほら、10万ドル儲けることができた。すごいだろ!そりゃみんなおかしくなっちゃうよね。

    この「レバレッジ」という錬金術をつかいまくって、ウォールストリートの人たちは信じられないほどの大金持ちになっていった。

    それを見ていた投資家たちは気分がよくない。だって自分たちが儲けられないんだもの。

    そこで、ウォールストリートの人たちは考えた。
    「モーゲージ」というものをつかって、投資家と家を買いたい人を結びつければいいんじゃないかって。
    モーゲージというのは、家を買いたい人が、その家そのものを担保にしてお金を借りることなんだ。借りた分は、毎月少しずつ返していくよ。

    その方法は、こうだ。
    まず、家が欲しい家族がいる。彼らは頭金を持って、モーゲージの申し込みをするよ。

    無事取引が成立すれば、家族は家を買うことができる。もちろん、毎月の返済はしなきゃならないけど、家の値段はどんどん上がっていくんだから、困ったら売ってしまえばいい、ってその頃はみんな考えていたんだ。

    ウォールストリートの人たちは「モーゲージを商品にして投資家に買わせよう」と考えたんだ。国債より金利がいいしね。

    実際、投資家たちはこれで大もうけした。あまりに儲けられるものだから、みんな「レバレッジ」をつかって、借金してまでたくさんのモーゲージ商品を買ったんだ。

    こうして、買えば買うほど儲かる魔法の箱が出来上がり!ってわけだ。

    さらに投資銀行は、この箱にもっとすごい魔法をかけてしまった。
    ひとつの箱を「安全」「大丈夫」「あぶない」という3つに分けたんだ。そしてそれを「CDO」と名づけたよ。

    CDOを理解するには、トレイが少しずつずれた状態で並んでいるところに、水が流れる姿を想像してくれると分かりやすい。
    モーゲージから入ってきたお金(=水)は、まず「安全」に行く。それが満たされたら「大丈夫」に、最後に「あぶない」に行くんだ。
    もしモーゲージの支払いが滞った場合は、まず最初に「あぶない」の箱にお金が入らないことになる。

    だから投資銀行は「安全」は低い金利で他の銀行などに、「あぶない」は一番高い金利でヘッジファンドなどに売ることにしたんだ。
    「あぶない」を買った人は、多くの金利をもらえる。でもその代わり、お金が入ってこない可能性もあるってわけ。

    こうして、投資銀行はまたまたたっぷり儲けた。

    家族は家を買え、投資家は儲かる、そして担当者は仕事がたくさんもらえる。こんなにハッピーなことある?
    ウォールストリートの人はそう言ったよ。確かにここまではその通りだよね。

    でも、いつかは終わりが来る。当然だよね。家が欲しい人が無限にいるわけじゃないんだから。

    絶体絶命のピンチかと思われたんだけど、投資銀行たちは、そこでまた新しい方法を考え付いたのさ。

    モーゲージを払えなくなった家族の家を買い取って、もっと使いやすいモーゲージを作った。
    それは、頭金なし、収入証明書もなし、とにかく誰でもいいからお金を借りて家を建てられるというものだよ。すごいね!

    そして彼らは、今までのモーゲージを「プライム」というのに対して、これらを「サブプライム(プライムより下)ということにした。

    そして、これが正にターニングポイントだったというわけさ…

    サブプライムも最初はうまくいっていた。プライムと同じようにね。
    でも、やっぱり払えなくなる人が出てくる。そういう人たちは、実は家を買えるような収入がなかったんだ。ムリヤリ売りつけていたんだね。

    払えなくなる人たちが増えてくるにつれ、当然たくさんの家が手放され、余るようになった。
    今まで順調に上がっていた家の値段も遂にストップし、それどころかどんどん下がり始めたんだ。

    もちろん、モーゲージをまじめに払っていた家族たちの家も値段が下がっていったよ。
    彼らは「もうこの家は9万ドルの価値しかない。なのに、なぜ30万ドルものモーゲージを払わなきゃならないんだ?」ってバカバカしくなってしまった。だからみんな放棄してしまったんだ。

    困ったのは投資銀行さ。誰もお金を払わなくなって、ただ安い家だけが残った。こんなの持ってたって、買う人がいなけりゃ役に立たないものね。

    彼らはとんでもない爆弾を抱え込むことになってしまったんだよ。

    投資銀行は、それでもまだモーゲージを売ろうとした。でも、もうみんな知っていたんだ。それはとんでもないシロモノだってね。

    モーゲージを買うためにレバレッジをたくさんかけていた、要するに借金をしていた投資銀行や銀行は、もうお金を返すこともできなくなった。

    誰もお金を貸さなくなり、借りなくなり、価値のない安い家だけがたくさん残った。今までモーゲージの仕事をしていた人たちも、どんどん職を失っていったよ。
    今まで積み上げてきた金融システムは、遂に麻痺してしまったんだ。

    そして…

    遂に爆弾が爆発してしまった。
    ウォールストリートの投資銀行や銀行はどんどん破綻してしまったんだ。

    それが今の状態。「ようこそ、金融危機へ」ってわけさ。

[読書]生物と無生物のあいだ 福岡伸一

以前の『iPS細胞』に続き、人体系に興味を持ってしまったので読んだもの。
ただ、順番的にはこちらが先のほうがよかったか。

本書自体は2007年5月に刊行されており、上述のiPS細胞が発見されるちょうど半年前だった。
そのため、DNAの発見・解明からES細胞の登場に至るまでのことが書かれている。

筆者は、実際にアメリカの研究所に長く勤めていたベテラン教授で、そういった人ならではの裏話や生物学に関する洞察が面白い。
特に、研究者がその功をあせる姿は、何というか一般の会社員の出世競争と変わらない、人間臭さがあるのだと感じた。

ただ、前半部分は逸話などがふんだんに盛り込まれていたものの、やはりページが進むにつれて内容がかなり難解に、かつ事実の羅列になってくるので、教科書を読んでいるような感覚になりちょっと辛いかも。

また、細かな描写もほとんど絵や写真を用いずに文章だけで表現しているため、素人にはなかなか想像できない部分があった。
そういった意味では、この手の分野に多少でも興味がなくては、読み進めるのはなかなか厳しいかもしれない。

しかし、Amazonで「DNA 和書」で最も売れている作品だけあり、読み応えは十分。
特に、これから「生物学」「分子生物学」を学びたいと考える学生に読んでもらいたい内容だった。

もし日本のブログサービスが女性だったら…

らばQさんの「もしブラウザが女だったら…」というネタが面白かったので、パクってみる。
あくまで独断なのであしからず…

■Yahoo!ブログ

ある意味、最も親しみやすいタイプであるが、とにかく束縛する。
部屋を訪ねるのは大歓迎してくれるのに、無言で出ようとすると「せっかく来たのに何も言わずにでていくなんて!」と、烈火のごとく怒る。好きな服を着させてもくれない。

「1言えば10返ってくる」というくらいに感受性が豊かだが、それに疲れてしまう人も多い。

まれに話しかけても反応がものすごく遅い(重い)ことがある。

■@niftyココログ

古きよき、善良な女性。
さりげない気遣いと、控えめながらもきらりと光るセンスが、好きな人にはたまらない魅力。
ただその古風な家柄からか、家系や先祖がちょっとややこしいので、敬遠されがち。

■Ameblo

いわゆる「イケテル」女子。
いつも最新の流行が話題のネタなので、口説こうとするからには、男もそれなりの知識が必要。

Mっ気があるのか、なぜか踏まれることを無常の喜びとしている。

また、少しでも機嫌が悪くなるようなことを言うと、どこからともなく知らない人が現れて、その発言をなかったことにしてしまうのが大変不思議である。

■Livedoor ブログ

こう見えても、昔はクラスでNo.1の人気者。
しかしライバルがたくさん転校してきた今となっては、大分影が薄くなってしまった。
離婚したお父さんは、今Amebloにいるという噂。

まれにとってもエロイ娘がいるが、それはプロの方。

■FC2

「転校生のあの子は、何でもさせてくれるらしい」という噂が瞬く間に広がり、現在の人気No.1。

ただし自己主張も強いので注意が必要。
特に一ヶ月放っておくと、男の部屋だろうが勝手に広告を貼り、お金に換えようとする困り者。

■Blogger

日本の女性では飽き足らないあなたに。

■Doblog

大金持ちの娘で、地味ながら性格もよかったのだが、つい先日「何もかも忘れたい」と言い残し旅に出てしまった。

機嫌を悪くされた方がいましたら、どうもすみません。
ちなみに大元のネタはこちら