ある日のこと。住宅地を歩いていると、小さな体に似合わぬ大荷物を持ったおばあちゃんが目の前を横切った。
「あー重い。あーーー重い」と言いながら歩く姿は、まるでコントのような滑稽さもあった。
「持ちましょうか」と声をかけると、待ってましたとばかりに「すまないねぇ」と言って笑った。
道すがら、おばあちゃんはいろんな話をしてくれた。この土地はもう長いのだとか、いつも買い物が大変なのだとか。
ほどなく着いた場所は、「超」がつくくらいの高級マンションだった。おばあちゃんはそこで一人暮らしをしているらしい。
ドアの前で失礼しようと思ったのだが、半ば強引に誘うおばあちゃんに根負けし、部屋の中に入った。
そして、玄関で少し異様な光景を見た。
開いた状態の無数の傘で埋め尽くされ、その他にもさまざまなものが置かれてまるでバリケードのようだったのだ。
おばあちゃんは「ここの管理人はひどい。留守のときに勝手に家の中に上がって、お金を盗んでいくんだ」と言った。だからこうして入りにくくしているのだと。
部屋は3LDKほどもあり、調度品も豪華なものばかり。驚きのあまり聞いてみると、すべてアメリカに住む息子さんに払ってもらっているのだそうだ。
何をしている方かまでは聞かなかったが、おそらく相当な成功を収めているのだろう。
しかし、一人暮らしの老人には明らかに広すぎるその部屋は、多くがほこりにまみれ、悪臭を放っているところもあった。
お手伝いさんを呼んだら、という提案も、管理人と同じことをされると断られた。
出してもらったお茶を飲みながら、またいろんな話をした。というより、おばあちゃんが一方的にしゃべった。
旦那さんに先立たれたこと、息子さんは二人いたものの病気で一人を亡くされたこと、親戚にはほとんど会わないこと。
そんなとき「おばあちゃんもアメリカに行ったら?」と気軽に言ってしまった。その時、はじめて少し悲しそうな顔をした。
半年に一度ほど帰国する息子さんも、同じように熱心に誘ってくれるのだそうだ。しかし、おばあちゃんは頑なに拒絶する。「日本が好き。アメリカは怖い」と、そう言っていた。
帰り際、おばあちゃんはとんでもない大金を渡そうとした。私はそれを丁重に断り、部屋を後にした。
そして、部屋を出てから思った。多分、管理人がお金を盗るというのは、おばあちゃんの勘違いではないかな。
さっきみたいに誰彼かまわずお金をあげてしまい、そしてそれを忘れてしまうのではないかと。
もちろん勝手な思い込みかもしれない。だけど、振り返ってもやはり豪奢すぎるその建物を見ていると、何だか身を切るような切ない気持ちに襲われた。
哀れんでいるわけではない。私はそんなに偉くも強くもない。
しかし、今日もおばあちゃんは、あの立派なソファに座って、玄関を傘で守りながら一人でテレビを見ているのかなとか、あの小さな体にはとても大きすぎるベッドで眠っているのかなと考えると、何ともいえない気持ちになることは確かだ。
同時に、わずか60年前には50歳そこそこだった平均寿命が80歳を優に超えるようになった現代の、いまだ解決できていない問題のひとつでもあるのだと肌で感じた。
孤独と戦うというのは、とても困難だ。時に打ち負かされそうになることもある。
これからの人生、孤独と戦うことが何度となくあるだろう。自分はあのおばあちゃんのように、凛として立ち向かっていけるだろうか。
おばあちゃん。もう一度訪ねたら、覚えていてくれるかな。