頓智ドットの井口さんが退職してて、それがあまり話題になってない件

日本発で初の世界的なサービスになるのではないか、と世間的にも個人的にも注目していた『セカイカメラ』の創業者である井口さんが、いつの間にか頓智ドットを退職されており、しかもネット界隈であんまり話題になっていない。

個人で書かれているブログにはそれなりの反響があるようだが、私の情報感度が低いからか、今まで気づきもしなかった。

頓智ドットと言えば、上述のセカイカメラ、そして最近では『tab』というサービスも発表し、これから波に乗ってくるのではないかと思われていただけに、創業者が会社を離れることに対する内部的な動揺は決して小さいものではないだろう。
昨年にCEOを退任していたとはいえ、ベンチャーは創業者の理念の元に集結する「仲間」という意識が強い。

ただ、噂では去年辺りからすでに早期退職者を募っていたようだし、少し前に広報の方の退職ブログが話題にもなり、経営という面では控えめに言ってもあまりうまくいっていない、率直に言えばかなりマズイ状況にあるのかな、とは思っていた。

ついでに頓智ドットのホームページを見てみると、最近は街コンとのコラボなどをしているらしい。
もちろん、社員を食わせていくためにはきれいごとなど言ってられないが、あの鋭くエッジの効いていたエンジニア集団、頓智ドットはどうやらもう過去のことのようだ。

その辺のことが井口さんの退職と関係しているのかは、知る由もない。

ただ、ワクワクするような最新の技術とプロモーション、そしてビジネス的な成功を両方手中にするのは、本当に至難の業なのだな、と改めて感じた。
そして、その井口さんも大尊敬しているらしいスティーブ・ジョブズという人は、本当に稀有の天才だったのだな。

私がキーボードを愛する理由

私はキーボードが好きである。愛してやまない。
どんなキーボードであっても、ただ見ているだけで満たされるのだから、一種の偏執的で変態的な愛情といって差し支えない。

今まで何度キーを叩いたろう。今だってこうして叩き続けているし、机上ですべての指をキーに触れながら息絶えたら、それはそれで満足かもしれない。

「職人は道具を選ぶ」というが、我々にとっての道具とは、PCでありマウスであり、ディスプレイである。
そしてその中でも、指先というもっともセンシティブな部位で、自分の意志や思いのたけを形にして、外に叩き出すのがキーボードだ。

コンピュータが日に日に進化し、小さくなっているのにもかかわらず、キーボードだけはいまだもって形を変えない。
それを「キーボードの呪縛」と呼ぶ向きもあるが、私も確かに、どうにかしてもっと効率の良い革新的な入力デバイスが誕生しないものかとは思う。

しかし同時に、現時点でこのQWERTY配列のキーボードは、指先を通じて意志を伝える至高のツールであると感じている。携帯やスマホの入力がどれだけ速くても、キーボードの優秀さには絶対にかなわないのだ。

はじめてキーボードに目覚めたのは、同僚が触っていたFILCOのメカニカルタッチに触れた時だ。
PCに付属している純正のキーボードしか知らなかった私は、その小気味のいい打鍵感に衝撃を受けた。

矢も盾もたまらず、その週末勇んで量販店に赴いた私は、しかしいかんせん、メカニカルタッチは周囲に人がいる状況では音が出過ぎることに気づいてしまった。

悩んだ末、私は同じFILCOのmajestouchを購入することにした。
FILCO Majestouch2 108フルキー茶軸日本語配列 USB&PS2両対応 Nキーロールオーバー対応 独Cherry茶軸採用メカニカルキーボード ブラック FKBN108M/JB2
その快適さはいうに及ばず、キーの表面の象牙のような感触と、カッチリとした反発が私を陶酔させた。
あまりに酔い過ぎて、画面をロックして意味もなくキーを叩き続けたほどである。

そして時を経た今、この文章を叩くのに使っているのが、史上最高のキーボードと名高い、東プレのREALFORCEである。
東プレ Realforce108UDK 静電容量無接点USBキーボード 日本語108キーかななし 昇華印刷 墨モデル Nキーロールオーバー キー荷重ALL30g ブラック SJ38C0
しばらくmajestouchと並行して使っていたし、そちらの方が自分には合っていると感じていたが、今はこのREALFORCEの「史上最高」の意味が分かりはじめたように思う。

指に吸い付くようなキータッチ。
「スコッ」という、抜けるような打鍵感。
長時間叩き続けても疲れにくいメローな反発。
触れ続ければ、口よりも饒舌に何かを語ることができるような気さえする。

とはいえ決して安くない、むしろ高い買い物であるから一概には勧められないけれど、純正のキーボードしか使ったことがないという方は、一度量販店のキーボードコーナーで叩いてみてほしい。

今までのキーボード体験はなんだったのかというくらい、異次元の体験ができるはずだから。

ZOZOTOWNは、最も突かれたくないところを突かれて怒ってしまった

ZOZOTOWNの前澤さんの発言が問題になっている。
それに対して「宅配業者の人はブラックなのに頑張ってる!」という考察も出た。

さらにはあの家入さんが「お客様は神様じゃない!」と斜め上から突如現れ、何とも味わい深い事態に発展してしまっている。

しかし個人的に、これらは全部的外れだと考える。
なぜならZOZOTOWNはその昔、送料無料を謳い文句にしたことがあるからだ。

前澤さんは「詐欺」という言葉に引っかかったわけでも、宅配業者への感謝のなさに怒ったわけでもない。
Amazonは無料なのに、自分のところはそれができないことを突かれて逆上しただけだ。

Amazonが送料無料なのは、別に宅配会社が奴隷のごとく奉仕しているからではない。
確かに大口顧客として一定の優遇は得ているだろうが、Amazonは自分たちの利益の中から送料分を宅配業者に支払っている。

例えば、Amazonへの注文が毎回100円ばかりだったら、それ以上の送料を宅配業者に支払うことでAmazonは赤字になるだろうが、Amazonのエライ人は「そんなことはありえないし、むしろ「送料無料」にすればもっと注文されるよね」と判断して(成功して)いる。

言い換えれば、Amazonは送料なしでも儲けられるが、ZOZOTOWNにはそれが(昔ちょっとやってみたけど今は)できないというだけのことだ。

なので、この「届けてくれる人がいるのを考えろ!」発言は、おそらくご本人があえて論点をずらしただけで、本当は「Amazonは無料だよ→うるせぇこのやろう!」が真相だろう。
個人的には、あの巨大なAmazonに真っ向から太刀打ちするのは難しいのは分かるから、ここで素直に「うちはまだできないっす。でも応援してね」とか言えたら良かったのになぁと思う。

洋服を購入するお金は本人が働いて得たお金から出ていて、宅配業者もお金をもらって配達して、ZOZOTOWNもその中間マージンをもらう。
別に誰もラクしてないし、汗水たらしてなくもない。みんな経済の原則に従ったまでの話だ。

そういう意味で、個人的にこの発言は、小売業の社長としても、自社が他社に劣るの(ではというコンプレックス)を知らしめてしまったという意味でも、最悪だったと思う。

1円玉と5円玉をなくしちゃうというアイデア

幼い頃、細かい硬貨を数えていた母がポツリと「もう1円なんてなくなればいいのにねぇ」とつぶやいていたのをふと思い出した。
最近、これはもしかしたらとても進んだ経済概念なのではないかと思えてきた。

これは大きなコストがかかるであろう、いわゆる「デノミ(貨幣の単位の切り下げ、100円を1円とするなど)」ではなく、単純に硬貨としての1円と5円の流通をやめるということだ。
これにより、今まで1円だったものは10円に、55円だったものは60円になると仮定する。

こんなことを言うと「うちは1円単位で節約してるんです!」と烈火のごとく怒る人が出てくるだろう。
では、1円を節約するとはどういうことか。

2011年の最低賃金645円を元に計算すると、1分あたりの賃金は10.75円で、1円の価値は約6秒である。
ということは「1円の節約」は最低でも6秒以内にできなくてはならず、いつものスーパーから10円安いスーパーに変えるためには、1分以内に移動しなくてはならない(それをやるくらいなら働いたほうがいい)、ということになる。

確かに物価は上昇するが消費税増税ほどではないし、「1円単位の節約」というあまり効果が期待できない行動から消費者を遠ざける、という意味でも有効ではなかろうか。

それに、1円や5円の製造にかかる(金銭的・時間的な)コストはいかほどだろう。
正確な数字は出せないが、鋳造、輸送、両替、レジでお釣りを渡す時間…… なかなかのものだ。

そもそも、現在10円以下で買えるものはほとんどなく、1円と5円は上位貨幣の補助の役割しかないではないか。

どれほどの(逆含め)効果があるのかまったく未知数だけども、うまく行けばうまく行きそうな気もしないではない。少なくとも「損する人が誰もいなそう」という意味で、優れた施策な感じがする。

書きながらも、合成の誤謬臭がプンプンするけども、どっかに大きな穴があるのだろうな。

本物のプロは、謙遜できない

知り合いに、恵まれた容姿を売りに飯を食っている人がいる。要するにモデルとかそういうやつだ。

本人はもっと名を売りたいそうだが、現時点ではとても有名人とは言えない。しかしそれでも、その美しさは一般的な人とはちょっと比べものにならない。

なので、会うと思わず「相変わらずキレイだね」とか「○○さんはキレイだから売れるよ」などと言ってしまいがちで、それは激励の意味もあったのだが、ある日ふと気づいた。

普通の人なら「キレイだ」と褒められて「そんなことないです」と言えるけども、この人はそれができないんだよな、と。
誰がどう見ても美しく、それで飯を食っているわけだから、そこで「いえ、美しくないです」と言えるわけがない。

プロ野球選手に「野球上手いですね」と言ったら、「バカにしてるのか」と怒られるだろう。
それは「野球が上手い」という前提があるからプロなのであって、そこは褒めるべきポイントでも何でもないからだ。

でもそれこそが、本当のプロフェッショナルなんだろうと思う。
否定も謙遜もできない何か一つがあって、それについては一切の言い訳が許されないのだ。

自分にもそれがあるだろうかと考える。
「すごいですね」と言われて、「当たり前だろ、プロなんだから」と答えられる何かが。