スペイン代表が優勝したことの意味

URLやサイト名から(分かる方には)お分かりのように私はかなりのサッカー馬鹿なのだが、今まで当ブログ上でその話題は避けてきた。はじめると止まらなくなるからである。

しかし、今回のW杯でのスペイン優勝で思うことがあったので記すことにした。

スペインという国の歴史は、とてもブログの1エントリで説明しきれないほど複雑だ。非常に簡単に言えば、元々別の国を力で一緒にしてしまった、という感じ。南北朝鮮が無理やり統一されたような国、というイメージか。

そのスペインの2大都市、マドリードとバルセロナを代表するクラブの対決が「エル・クラシコ」であり、これは国を二つに分けての代理戦争と言われる。

そして、その国内でのライバル意識の強さゆえに「スペイン人は、国際試合に興味がない」とさえ言われていた。
国内に世界トップのリーグをもち、W杯でも毎回優勝候補に挙げられながら(トーナメント制になってから)最高でベスト8止まりと「永遠の優勝候補」と言われ続けた彼らの敗因は、何よりも結束力の無さが原因だった。

しかしその様子が変わってきたのは、ユーロ2008の少し前くらいからだろうか。

近代のサッカーは「堅守速攻」。イタリア代表はこれで一時代を築き、今回はあのブラジルまでもがそれを選択した。
攻撃的なサッカーは華麗だが、それでは結果が伴わないのだ。

ただ、それは決して一般受けするものではない。
ヨハン・クライフをして「醜く勝つなら美しく負ける」と言わしめるほど、美しさと強さは共存しがたい存在だった。

しかし、スペイン代表はそれをやってのけた。それこそ、黄金期のバルセロナのフットボールのごとき華麗さを、サッカーの永遠の理想である「美しく勝つ」を代表チームで体現してしまった。

そのサッカーは芸術。
私はユーロ2008を見て、これは現時点での完成型だろうと思った。答えがひとつ出てしまったとさえ思った。

そして、それから2年後。彼らはまたやってのけた。W杯での優勝という、多くのサッカー選手にとって最大の目標を果たした。

いくら素晴らしい選手が揃っていようとも、皆の気持ちがバラバラであれば勝てるわけがない。
今回の日本代表の活躍を見ても、チームワークがどれほど大事かを痛感する。

今回のスペイン代表にバルセロナの選手が多かったとはいえ、それでもさまざまな地方のメンバーが集まっていた。
彼らは重い荷物を背負いつつ、それでも俺達はやれるんだということを示してくれた。皆で同じ、ひとつの大きな目標を見ていれば、複雑な国や言語や歴史も、いがみ合うことさえも乗り越えていけるんだということを、体現してみせた。それが簡単でないことは、東欧の国々を見れば分かる。

今回はサッカーというスポーツだったが、別に何でもいい。崇高で巨大な目標に向かっていけば、憎しみなど二の次になるのではないか。
あまりにも楽観的すぎる考えだが、その可能性の片鱗を見せてくれたスペイン代表は本当に素晴らしい。

そして、ドイツのあのタコは本当に凄い。

Yahoo!チャイナモールがカオスすぎる件

Yahoo! JAPANが、アジア最大のECサイト「淘宝(タオバオ)」と提携すると発表されたのは、先月中旬頃。
そして今日「
Yahoo!チャイナモール」というサイトがリリースされた。
これは、タオバオが扱っている主に中国国内の製品を、日本にいながらにして買えるというものだが、これが何ともカオスだったので、ちょっとまとめてみた。

王冠純正品は保一の年の徳の浩力勝のDHL 7-805の霹靂軍事用の車両ゲーム段階光学マウスを質入れする


質入れって……
買った途端に売らないように。

【SKは流行でありいかしてている】家用はのろまな宝を砕く


砕くな砕くな。宝を砕くんじゃない。


特の馮氏早期教育の法/早期教育の革の 命の8のVCDの原の汁の持ち味


「原の汁の持ち味」
なんか嫌だよ。。「汁の持ち味」ってなんだよ……

超人毛球取器のSRは2856の新型上場工場の価の特は全国保守の擬1を売って10を賠償して


1売ったら10賠償してんの?
それで経営成り立つの?

IKEAの味付けの瓶の*の調味料の瓶の*は物の瓶を蓄える


肝心なところ「*」ばっかりだから、分かんないよ。言っちゃいけない言葉なのかよ。

おそらく中国語を無理やり自動翻訳してるのが理由なのだろうが、この状態でリリースしたところが、勢いがあるというか、ソフトバンクらしい感じがする。

ただ一番大事なのはこのサイトで買い物をしたいと思うかどうかだと思うんだけど……

あと問題になりそうなのは、偽物も売っちゃってるところだろう。

こちら、よく見ると「SQNY」での検索。
PSPならぬ、PMPやらP$Pなんてのが並んでいる。

これは何か対策しないと、国内企業からクレーム来そうだけど……

とりあえず、今後に注目です。

自分を型にはめすぎるな

最近「○○系男子(女子)」とか「□□型人間」とか、とにかく人間を型にはめる表現が多い。
これはメディアや広告代理店の戦略であり、かつ最近始まったことでも何でもないんだけど、個人的にはいい加減いいんじゃないか、と思ってしまう。

人は、とかく自分たちを「分類」するのが好きだ。
典型的なのが血液型で性格を判別すること。代表的なものだと、

A型:神経質
B型:マイペース
O型:おっとり
AB型:二重人格

といったところか。
ちょっと考えれば分かることだが、こういった性格は「誰でも持っている要素」である。
「A型は神経質」というのが一般化されているため、本当に自分が神経質だと思い込んでいる人までいるが、仮に「A型はおっとり」と入れ替わったとしても、当人はそのように認識するだろう。誰でも二重人格な面もあれば、マイペースな部分もある。人はそんなに単純じゃないはずだ。

人間には「所属欲求」というものがあると言われる。
これは、自分のアイデンティティを示したり明確にしたいための、肩書きや集団への帰属欲求など。
この「集団への所属の証」は、安心につながる。「自分は人と違う」という認識は、時に人を不安にするものだ。

しかし、これがあまり過ぎると良くない。

人間本来や、人生に立ちはだかるものはもっと複雑であるのに、安心感を得るためだけに物事を不必要に体系化、単純化してしまう。やれ草食だ、やれ文系だ、やれ右脳型だと。

別に他人に対しては構わない。「あの人は草食系だよな」と思うくらい、どうってことはない。

しかし自分にあてはめるのはやめた方がいい。「オレは草食系男子だから……」みたいな。
なぜなら、その後に続くのは否定語がほとんどだからだ。

「オレはオタクだから仕方ないんだ」「もう××歳だから遅すぎるんだ」
これは冷静に自己分析しているようで、本当は欲しているのに、勝手に自分で限界を作って、言い訳の材料として一般論を持ち出しているだけだ。型にはめることで安心して、それ以上の思考を停止してしまっている。

そもそも、本当に不可能だと思っていることを、人は欲しない。
例えば野球の未経験者が、40歳になって一から野球を始めて大リーグで首位打者になろうと考えるか?
迷ってる時点で、そこには可能性があると、少なくとも自分はそう思っているはずだ。

そして、一般的に成功していると言われる人は、こういった志向が少ない。自分を「○○系」とか「△△型人間」にあてはめないし、そうすることを嫌う。例えば堀江貴文氏のこの発言

これは、あまり型にはめてしまうと、自分を解放できなくなってしまうからだろう。他でもない自分自身に限界を作って、いいことなんてあるはずがない。

前述のように安心感をもたらすことも確かにある。それに、これを貫くには強靭な精神力がいる。
だから「自分は今、型にはまってないかな」とたまに意識できるようになりたいところ。

ちょっと本題とずれてしまうけど、イギリスのジャーナリストで思想家、ウォルター・バジョットの名言を最後に記して、説教モードを終了としたい(汗

The greatest pleasure in life is doing what people say you can’t do.
「人生における最大の喜びは、他人が『君には無理だ』ということを成し遂げることだ」

Apple、Googleのモバイル戦略に見る「つながり」の奪い合い

Apple、Googleのモバイル戦略に見る「つながり」の奪い合い

最近、iPhone、Andoroid、NexusOneなど、モバイル分野が熱い。
Apple、GoogleというWeb業界の巨人が参戦しているその背景には、ひとつにはモバイル広告市場の奪い合いがある。

http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/05/12/mobilead/?rt=na

モバイル版Adsenseに対して、AppleはiAdを導入。今後間違いなく大きくなる市場に先手を打つため、自ら端末を製造してまで莫大な投資を行っているのだ。
Googleが帝国とも言える巨大な富を築いた、Web広告市場。しかしそれ以上のものがモバイルには眠っているといわれる。欲しくないわけがない。

そしてもう一つ重要な要素として、私は「つながり」の奪い合いがあると思っている。
これはSNSでいえば友達関係、Twitterではフォローといったものだ。

AppleもGoogleも、この目には見えない「つながり」の力を、喉から手が出るほど欲しがっているはずだ。友達が勧めたもの、友達が買ったもの、これをモバイル広告と絡めれば、その効果は抜群になる。
そして彼らは、これはWeb上だけでは保持できないと考えているのではないかと思う。

今まで、数々のWebコミュニティサービスが現れては廃れていった。Friendster、MySpace、Facebook、そしてTwitter……

彼らは、何か一つの絶対的なサービスが存在し、そこに誰もが定住し続けるというのは「幻想」だと悟ったのではないだろうか。
現在爆発的に流行っているTwitterも、いつかは廃れる日がくると分かっているのだろうと思う。

では「廃れないつながり」とはどこにあるのか。

その答えが、携帯の「アドレス帳」だったのではないだろうか。
家族、友人、知人、会社の同僚……さまざまで、かつ一生続くであろう人間関係がここには詰まっている。

確かに、携帯のアドレス帳とTwitterのフォロワーがイコールの人もいるだろうが、そうでない人の方が遥かに多いはずだ。
そして、そもそもTwitterなど未来永劫使わない携帯ユーザの数は、そうでない人の何倍も多いだろう。

どちらの関係が強固か、企業としてどちらの「つながり」が欲しいかといえば、言わずもがなだ。

彼らは、Web上という見えない世界と、端末という肌身離さない「固体」を結びつけることで、Webコミュニティを新しいステージに持っていこうとしているように思えてならない。

私は「ガラケー」なんて自国の製品を貶めるような言葉が嫌いなのだけども、その問題点は端末そのものが高機能化してしまったことより、そういうWebとリアルを結びつける発想が薄いことにあるのではないかと思う。

残念ながら、ここまで日本企業の名前が出てきていない。

ソフトバンク、NTT、SONY……
アメリカの巨大企業に遅れを取らないためにも、ここは一致団結してでも対抗していかないと、本当に根こそぎ顧客を奪い取られかねないのではないかとちょっと感じ始めている。

『漫画家』とは、才能の塊である

私は漫画を全く読まない。
しかし『漫画家』というものが、とてつもない才能の塊であるということは知っている。
彼らは、特にエンターテイメントの世界で必要とされる数多くの要素を同時に満たす、稀有な存在だ。

1:絵が描ける

もちろん個人差もあるだろうが、漫画家は絵がうまい。
これだけでも、イラストレーターや挿絵ライター、もしくは単純に画家という職業にも就けるかもしれない。絵がうまいというのは、それだけでも食っていける能力だが、漫画家にとってはそれは最低限の前提に過ぎない。

2:ドラマを作り、セリフが書ける

稀に原作者が別の場合もあるが、多くの漫画家はストーリーも自分で考える。これは、映画製作でいえば「脚本家」の仕事であり、彼らは当然それしかしない。
また、そのクオリティも非常に高い。これは、多くの漫画作品がTVドラマのネタ元になっていることからも分かる。
現在の日本のTVドラマは、オリジナル物はとかく敬遠され、漫画などのいわゆる「原作もの」でないと企画が通らないとさえ言われる。それが、同業界のレベルの低下に至ったわけだが。

3:コマ割りができる

今や世界中に多くのファンをもつ北野武監督は、自身の映画のコマ割りを考える際、日本の漫画を参考にするという。
映画(も漫画も)は、あくまで平面的な世界なので、四角い画面に映っているものがすべてだ。
限られた枠の中に何を見せ、何を見せないか。場所(ロケーション)や時間帯、季節、天気、大道具・小道具の配置…… それらをすべて考慮し、シーンを立体的に俯瞰で捉えることができる能力が必要である。
映画製作の現場では、これを専門で行う「撮影監督」という職種すらある。

全体を映した後に顔のアップ、次に手のアップ、小物の動き…… 観客を飽きさせないためには、コマ割りは非常に大事な要素だ。すべての漫画家がこれらを意識しているかどうかは分からないが、実際非常に高度な能力が要求されることは間違いない。

4:演出ができる

セリフの内容だけではなく、それをどんな表情で言うのか。その時どんな心情なのか。それまでどんな経緯があったから、その行動につながっているのか。
すべてのキャラクターの行動には意味があり、それに反応したアクションを起こす。それをすべて理解し、どうすればもっとも観客に伝わるかを考える時、演出家が必要になってくる。

言うまでもなく、これは映画でいう監督の仕事だ。
カメラ位置やセリフだけではなく、感情の機微や細かい所作まで頭の中に描き、作品全体に責任を持てなけなければ、この仕事は行えない。

当然単純に比較することはできないが、『漫画家』といわれる人は、これらの能力を高い水準で保持しており、おそらくどれに特化してもプロフェッショナルとして活躍できるだろう。
一部の突出した人気作家だけではなく、プロとして漫画を描く人には、これらの能力が満遍なく備わっているはずだ。

しかし、日本の漫画家の方たちの境遇は、お世辞にもいいものとは言えないように思う。
週刊連載に追われ、出版社や放送局の割の合わない中間搾取と戦い、人気がでたらでたで本意でないストーリーを延々と描き続ける。まるで、命をすり減らして描き続けているようにさえ見える。

市場規模の問題もあるだろうが、この才能溢れる存在をおざなりにするのは、日本文化にとって好ましくないように思える。
ということで、ここまで言っておいて自分が読んでないのも恥ずかしいので、どなたかオススメの漫画を教えてください(違