ブログをはじめたことで、自分の性格がよく分かった

ブログを開設してから、ちょうど一年経った。

果たしていつまで続くやら、という気持ちで始めてみたが、何とかここまで継続することができた。
明らかに更新頻度は下がっているけども(汗

私はおそらく極度の自意識過剰なので、ブログの存在を誰にも明かさなかった。
そうすることで、ようやく自分が本当に書きたいことが書けたように思う。

そうやって、自分が興味をもったことを好き勝手に書いたことで、自分の性格というか本性みたいなものがかなり分かった気がする。
これは非常に収穫だった。

今まで書いたもの見返し(たくないほど恥ずかしいものもあるけど)てみると、どうやら自分は物事を否定的に捉える性質があるようだ。
何か気になることがあったら「これは素晴らしい!」と讃えるよりも、「これはちょっと違うんじゃないか」と食ってかかる。
ブログというのは、日記ではなくメディアであるという意識がやや強いからかもしれないが、よく言えば批判精神、悪く言えばマイナス思考な考え方なのだろう。

ネット住民をして「品行方正で怒りっぽいネット住民」という揶揄があるが、まさか自分もそれに当てはまっていたとは。

ただ、個人的にはそういった面は捨てずに、でも意識して他の人の成果物や考え方のよい所を取り入れることができるようになりたい、と思う。

そして、いくつかの記事はおかげ様で自分が思っている以上の反響をもらうことができた。
その中で、少なからず「炎上」することもあった。

私は、自分は精神的にタフな人間であると思っていた。

しかしながら、やはり自分では真剣に考えていたことを面と向かって否定されるというのは、思っていた以上に精神的に堪えた。
議論を重ね、互いの立場を理解するところまで行き着けばいいし、ほとんどの人がそうなのだけど、中には最初から理解しようとする気持ちがないという人もいる。それは実生活とまるで同じだ。

なんやかんやグチグチ言っているものの、トータルするとブログを書いてみて良かったと思える。
私の経験の中では、自分というものをより深く認識できた、最も効果的なツールであった。

いつまでもつか分からないけど、飽きない程度に続けていきたいものだ。

見ろ、非モテがアリのようだ

タイトルは釣りです。

非モテSNS」というサイトが盛り上がっていると聞いて、試しに登録してみた感想。

「モテないもの同士が傷を舐めあうサイト」
「恋人ができたら即退会」
というキャッチフレーズを聞いていたので、さぞかし自虐的なネタが満載なのだろうと思っていたら、ちょっと違った。
むしろ正反対だった。

というのも、オフ会がかなり盛んだったからだ。
俗に「非モテ」と言われる人たちは、他人との交流が億劫だったり初対面の人が苦手だったりする(だからこそ非モテ)のかと思っていたから、結構意外だった。

コミュニティへの書き込みの多くがオフ会絡みで、非モテという言葉がなければ正に「リア充」のSNSにも見える。
ちょうど、mixiの初期のころを見ているようだ。

先日、「働きアリばかりを集めても怠けアリがでる」というニュースがあって、ユニクロの柳井さんも「できる人ばかりを集めても、その中で突出するのは2割」と『一勝九敗』で著していた。

これと同じで、どんなに消極的な「非モテ」を集めても、相対的に積極的な人が先頭を引っ張って、周りにそれについていく人がいて、というようなクラスタができあがっていくのかな、と思った次第。
リーダータイプでなかった人が、転職などを機に急に求心力を得た、というのもよくある話だ。
そうやって、世の中はうまく回っている部分もあるのだろうかな。

ただし、非モテでも何でもなくただお金を儲けるために乗り込んできた人がいるだけ、という可能性も否定できない。
オフ会でもイベントでも、主催者はそれはもう儲かる。これは間違いない。

それが必ずしも悪いことではないけど、中にはそういう人を食い物にするような、怪しげな団体みたいなのがあるので注意したい。

サイトの主催者自体がそのような意図で運営していないといいな、と思うけども。

『THIS IS IT』で感動した人は、今すぐ「ライブ・イン・ブカレスト」を観るべき

『THIS IS IT』を観賞した。
映像の中のMJは予想以上にエネルギッシュで、もちろんリハーサルだから適度に力を抜いているのだけど、その抜き方が普段観られない彼の裏側を観られるようで楽しくもあった。

研ぎ澄まされた刃のようにプロフェッショナルで、それでいて非常に謙虚で、本当に稀代のスーパースターだった。
だからこそ、彼の存在の大きさを感じれば感じるほど、もうこの姿が見られないということがさびしくてならない。

亡くなったときこそまったく実感が沸かなかったが、見れば見るほど悲しくなる映像でもあった。

当初は2週間限定だったものの、多くの映画館で延長が決まったらしい。
まだ観ていない方は是非映画館に足を運んでいただきたい。

そしてこの『THIS IS IT』は、周りでも非常に評判が高い。「マイケル・ジャクソンはやっぱりすごい」という感想ばかりを聞く。

しかしもし、手加減なしのフルパワーのMJを観たいのなら、今すぐ「ライブ・イン・ブカレスト」を観るべきだ。

これは、マイケル・ジャクソン唯一の公式ライブDVDである。
1992年。マイケルは30代前半で、あの忌まわしい「濡れ衣」を着せられる直前の、もっとも脂が乗っている頃の映像だ。

序盤、舞台の下から飛び出してくるマイケル。
その後数分、あの『HISTORY』のジャケットの姿勢のままピクリとも動かない。

それでも熱狂するオーディエンス。鳴り止まない歓声。
ゆっくりとサングラスを外した直後、激しいビートと共に始まる「JAM」。

違法アップロードを貼るのは本意ではないが、これがそのDVDの冒頭部分だ。

この後も神がかり的なダンスと歌が続き、おなじみの「Thriller」や「BAD」ではまるでミュージカルさながらの演出が続く。
本当に、生命力にあふれたマイケル・ジャクソンがここにいる。

曲目は『THIS IS IT』とほぼ同じ。
要するに、『THIS IS IT』で行われたリハーサルの本番が、このライブ・イン・ブカレストだと思えばいいと思う。

本気のマイケル・ジャクソンを観たいなら、THIS IS ITの熱が冷めやらないうちに是非観てほしい。

ヤンキース松井選手に対する、twitter上の反応まとめ

いやぁ~、松井選手やりましたねぇ。
世界一のチーム・ヤンキースに入ってワールドシリーズに勝つ。そう公言していた夢を本当に叶える姿を見ていると、言葉にできない感動というか、何かすごいものを見せられたような気がします。まさかWSのMVPに日本人が選ばれる日が来るなんて、思ってもみませんでした。

興奮のあまり、twitter上で「matsui」について言及している発言をザッと見てみたのですが、中には大変面白いものもあり、せっかくなので簡単にまとめてみました。

多かったのは、
・松井にハグしたい!
・松井、お前こそがMVPだ!!
・なるほど、確かにこいつはゴジラだ。

など、やはり松井を賞賛するもの。Yanksにとっても、松井の今日の活躍は目を見張るものだったのでしょう。
そのほかにも、

・自分用メモ:いつか殺す人・Hideki Matsui
←多分、敵チームのファン

・俺は松井を許さない。許して欲しければ、今すぐオレたちのチームの契約書にサインしろ
←同じく、敵チームのファンの人と思われる。これ以外にも「うちのチームに移籍しろ」は多かった。

・松井は、まだ英語話せないのか(笑)
←インタビュー時。これもとても多かった。実際にはどうなんでしょうかね。

・松井最高!!今日はホイップクリームにしょうゆとワサビをいれるわぁぁぁ!!
←意味不明w

・松井はアジアで最初のMVPってだけじゃなく、最もたくさんのポルノを持ってるMVPでもあるぜ
←詳しいww

それにしても気になったのは、ヤンキースファンと思われる人たちの「松井にチームに残って欲しい」というtwitがほとんどなかったこと。

・私たちは、松井のことを忘れない。
・最高の夜をありがとう、松井。

など、まるで彼のヤンキース退団は規定路線のような書き方が多かった。
日本人が松井にはヤンキースにいてほしいと思うような気持ちは、アメリカの人にはないのかもしれません。個人主義が浸透した国だから、チームに依存するというよりも、彼が活躍できる場こそが彼にとって最高の場であるという認識があるのかもしれません。

それにしても、twitterで「松井」と検索するより、「matsui」の方が数十倍ヒットしたことからも、当たり前と言えば当たり前ですが、日本ではまだまだtwitterがマイナーであることと、それに反して英語圏でのtwitterの浸透ぶりに驚いた一日でした。

負のエネルギーを全身で受け止めることのできる人の強さ [読書]自殺する私をどうか止めて 西原由記子

こんな弱小ブログには考えられないほどのアクセスをいただいた前回の記事ですが、とりあえずいつものように普通の書評などに戻りたいと思います。

本書は、私のTwitter友?と言ったら失礼なくらい著名なブロガー、どんジレさんのブログを拝見し、興味を持って読んだもの。

著者は「東京都自殺防止センター」というところでボランティアをしている女性。
何ともダイレクトな名前のセンターだが、その名前になったいきさつなども明記している。

ここでは、自殺を考える人のための最後の砦となり、その話を電話を通して親身になって聞く、ということを行っている。
タイトルに「止めて」とあり、もちろん最終目的は自殺を止めることであるものの、著者をはじめとしたボランティアの方たちは、決して「自殺なんて思いとどまりなさい」と説教するわけではなく、ただ相手の話を聞き続けるとのことだ。それこそが、最後の最後まで思いつめた人を楽にできる方法だと知っているからだ。

人間にはさまざまな感情がある。
ポジティブなパワーを持った人の近くにいれば元気になれることもあるし、愚痴ばかり言われるとげんなりしてしまう。
その中で「死にたい」というのは、最も強烈な力を持ったものだろう。それこそ「生きたい」より上かもしれない。

生きるということは、生命体として最大の本能であるし、すべての理がそれを前提としている。生きていれば、色んな楽しいことや嬉しいことがある。生きていて本当によかったと思える瞬間がある。
「死にたい」という人は、そのすべてを断ち切って、もう楽になりたいと願うことだ。多くの人が本能では生きていたいはずなのに、その本能をも凌駕する苦しみに襲われ、もうすべてを終わりにしたいと望む。その「負の力」は、周りの人を巻き込んで余りある。

だからこそ、聞くだけで身を裂かれるような不幸な身の上話を聞かされ、私は明日死ぬと宣言され、それでも「あなたの気持ちは分かります」と言える人の強さは、想像を絶するものがある。
しかも、職員の方たちは全員ボランティアだという。

もちろん、自殺を防げた時の喜びはひとしおだろう。でも、実際に自殺をしてしまう人もいるはずだ。「止められなかった」という自責の念と戦い続けるのは、容易ではないはずだ。著者はそれを25年(本が刊行されたのは今から6年前なので合わせて31年)も続けているというのだから、その人間的な「強さ」は、並大抵のものではないだろうと思う。包容力というか、やさしさというか、一概には言えないけれど。

本としての評価をすると、著者はやはり作家ではないので事実の羅列がただ続くだけで読みづらいところも正直ある。
そしてこれは編集者の問題だと思うが、同じ記述が複数回でてくることがあるので、やや未熟な感がある。

しかし、それを補って余りあるリアリティと、著者をはじめとしたスタッフの方たちの温かさ、自分には到底持つことができそうもない人としての器の大きさを感じることができる、一読の価値がある一冊だった。