Apple、Googleのモバイル戦略に見る「つながり」の奪い合い

Apple、Googleのモバイル戦略に見る「つながり」の奪い合い

最近、iPhone、Andoroid、NexusOneなど、モバイル分野が熱い。
Apple、GoogleというWeb業界の巨人が参戦しているその背景には、ひとつにはモバイル広告市場の奪い合いがある。

http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/05/12/mobilead/?rt=na

モバイル版Adsenseに対して、AppleはiAdを導入。今後間違いなく大きくなる市場に先手を打つため、自ら端末を製造してまで莫大な投資を行っているのだ。
Googleが帝国とも言える巨大な富を築いた、Web広告市場。しかしそれ以上のものがモバイルには眠っているといわれる。欲しくないわけがない。

そしてもう一つ重要な要素として、私は「つながり」の奪い合いがあると思っている。
これはSNSでいえば友達関係、Twitterではフォローといったものだ。

AppleもGoogleも、この目には見えない「つながり」の力を、喉から手が出るほど欲しがっているはずだ。友達が勧めたもの、友達が買ったもの、これをモバイル広告と絡めれば、その効果は抜群になる。
そして彼らは、これはWeb上だけでは保持できないと考えているのではないかと思う。

今まで、数々のWebコミュニティサービスが現れては廃れていった。Friendster、MySpace、Facebook、そしてTwitter……

彼らは、何か一つの絶対的なサービスが存在し、そこに誰もが定住し続けるというのは「幻想」だと悟ったのではないだろうか。
現在爆発的に流行っているTwitterも、いつかは廃れる日がくると分かっているのだろうと思う。

では「廃れないつながり」とはどこにあるのか。

その答えが、携帯の「アドレス帳」だったのではないだろうか。
家族、友人、知人、会社の同僚……さまざまで、かつ一生続くであろう人間関係がここには詰まっている。

確かに、携帯のアドレス帳とTwitterのフォロワーがイコールの人もいるだろうが、そうでない人の方が遥かに多いはずだ。
そして、そもそもTwitterなど未来永劫使わない携帯ユーザの数は、そうでない人の何倍も多いだろう。

どちらの関係が強固か、企業としてどちらの「つながり」が欲しいかといえば、言わずもがなだ。

彼らは、Web上という見えない世界と、端末という肌身離さない「固体」を結びつけることで、Webコミュニティを新しいステージに持っていこうとしているように思えてならない。

私は「ガラケー」なんて自国の製品を貶めるような言葉が嫌いなのだけども、その問題点は端末そのものが高機能化してしまったことより、そういうWebとリアルを結びつける発想が薄いことにあるのではないかと思う。

残念ながら、ここまで日本企業の名前が出てきていない。

ソフトバンク、NTT、SONY……
アメリカの巨大企業に遅れを取らないためにも、ここは一致団結してでも対抗していかないと、本当に根こそぎ顧客を奪い取られかねないのではないかとちょっと感じ始めている。

日本には、まとめサイトがある(ので、tumblrは革新を起こせない)

先日、新しいエントリをUpしていないのに(正確には、してたんだけどそれとは関係ない)あるエントリのアクセスが急増した。
それは2009年の3月に書いたもので、なぜ今更?と思いアクセス解析を調べてみると、「駄文にゅうす」さんというまとめサイトに掲載していただいたからだった。

まとめサイトというのは横のつながりが強い。
翌日、今度は2chのまとめサイトで有名な「アルファルファモザイク」さんに載せてもらい、更にアクセスが伸びた。

次の日には落ち着いたが、再度「かーずSP」さん、及び「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS」さんに取り上げられ、遂にはまとめサイトの老舗「まなめハウス」さんに掲載いただいたことで、普段ほんの少ししかないアクセスが爆発的に増えた。

20100109_1

私は、このような歴史のあるサイトに紹介いただけたことに喜びながら、あることに気がついた。
これってtumblrだよなと。

実はこの少し前「ネタフルバード」さんにも(別のエントリだが)クリップしてもらっていた。12/27付近がそれだ。
語弊を恐れずにいえば、tumblrとしてはおそらく最大級の影響力を持つブログに取り上げられても、この程度の増え方だった(それでも普段の倍だけど。もちろん、ネタフルさん本体にリンクいただいたらこんなものじゃすまない)。

単純に、まとめサイトにはその10倍程度の影響力があるということだ。

アフィリエイトなど、管理人によって目的はさまざまだろうが、まとめサイトを運用していくのは本当に大変なはずだ。
今まで星の数ほどの人間がこれにチャレンジし、散っていった。

確かにtumblrは便利なのだけど、面白くて新しい情報を常に追い続けるというのは、相当の労力が必要だ。
自分が面白いと感じた記事に反応がなかったときの虚脱感と戦い、その逆に無上の喜びを覚える。それを毎日続けていくのだから。

すでに多くの経験と実績を持っているこのようなまとめサイトがある以上、日本においてtumblrがその壁を越えていくのは難しいのではないだろうか。
少なくとも、まとめサイトの管理人たちは「RSS」という技術には今のところ圧勝している。多くの人は、自分の好きなサイトをRSSに登録するよりも、信頼する管理人のまとめサイトを「お気に入り」にいれているのだ。

今までの自分の経験からだと、はてぶ、Newsing、Buzzurlあたりで取り上げられることから火がつき、次にまとめサイトへという流れが多かった。その頃からその威力は薄々感じていたのだが、今回改めてエントリにしてみた。

個人的にはあまりまとめサイトを利用しないのだけど、技術者だけではなく、こういった「サーファー」たちが日本のWebを支えてきたのは事実であり、Web文化の大きなひとつとして今もなお厳然と鎮座していることを改めて感じた出来事だった。

この記事も、まとめサイトさんに取り上げてもらえることを祈りつつペンを置く(汗

ソーシャルメディアは「数の原理」に帰結する

「ソーシャルメディア」という言葉が登場して、もう何年になるだろうか。
未知なる萌芽を感じた人は多かったはずだし、今なおその理想を追い続けている人も大勢いる。
今エントリでは、その「ソーシャルメディア」および「ソーシャルグラフ」に対して、現在自分が考えていることを書こうと思う。

というのも、当初考えていたソーシャルメディアの理想型が、自分の中で徐々に変わってきつつあるからだ。

言葉の定義があまりに広すぎるが、ソーシャルメディアとは一言で言えば「従来のマス型ではない(身近な人の)口コミなどによって伝播する情報伝達の仕組み、または情報そのもの」と、私は解釈している。

そしてそのソーシャルメディアの考えのひとつに「ある特定の少数が発する情報より、大多数の人間が発するそれは正確性で上回る」というものがあると思う。
プロの凄腕ライター一人が絶賛するお店より、100人中100人がおいしいと言っている店のほうが優れているはず、という考え方だ。

しかし、少なくとも現時点ではこの原則がうまく機能していないことが多い。
真偽の分からない、適当に書いた情報、誰かを陥れるためだけに作られたもの… ネット上には残念ながらゴミも多い。
Amazonや価格.comで評判が高かったから購入したが、意外と不満が残ったという経験は結構あるはずだ。

そこで飛び出した概念が「友達フィルタ」及び「ソーシャルグラフ」である。
素性の知らない人ではなく知人が勧めているのであれば、おススメの信頼性も増すという考え方だ。

Facebookが導入し、広告を革命的に変えるといわれた「Social Ads」は、その副次物の代表格だ。
結局プライバシーの問題からすぐに中止の憂き目を見たが、改良すればソーシャルメディアの中心的な勢力として君臨するだろうと思う、がそれはまた別途。

しかしこの「友達フィルタ」を活用するためには、Web上に信用できる人間関係を保持する必要が出てくる。
リアルの知り合いを引きずり込むか、Web上でそれを構築するか。

それがtwitterやFacebook、friendfeed、またはmixiなのかはどうでもいいのだが、いわゆる「普通の人」にとってこれは中々障壁が高いと思う。それができるのはごく一部で、その他大勢はそんなにどっぷりWebに浸かっていられない。

ある商品に対する友達の評価を聞きたければ直接電話することだってできるし、会ってお茶する間に聞くこともできる。
「僕はもうテレビなんて見ない」という人がいるが、それと同じように「ネットなんてたまにしかやらない」という人がほとんどだということを忘れてはいけない。

ソーシャルグラフの考え方は非常に優れたものだが、その恩恵を受けるためには相応の労力がどうしても必要になる。

Web上でより詳しく調べる人、Web上に友達が多い人、Webを普段から頻繁に利用する人……
その格差が広がれば広がるほど、ソーシャルグラフが織りなすソーシャルメディアは、一部の人のための一部のものでしかなくなっていく。

となると、それは結局インターネットのヘビーユーザのみが使用する特異な世界の域を出ない。広義の「ソーシャル」ではなく、少なくとも「メディア」でも何でもない。

という考えを経て、私は「ソーシャルグラフ」を利用したソーシャルメディアは、少なくとも今後しばらくは主流になりえないと結論付けた。
すべての人がWeb上でソーシャルグラフを作っていける、という考え方に私は否定的である。

ではどうなるのか。
結局、物量がすべてを駆逐するのではないかと考える。
ここでエントリの最初に戻るわけだが「ある特定の少数が発する情報より、大多数の人間が発するそれは情報の正確性を塗り替える」ということに帰結するように思う。

ソーシャルメディアがその機能を果たすためには、大多数の人がその輪の中に入ることが大前提となる。
その上では、ソーシャルグラフなどの「余計な」障壁はなるべく取り除き、気軽に参加・離脱できるメディアの有体として存在しなければならない。それこそ、テレビをつけるほど簡単に。
おいしいお店を知りたいだけなのに「まずお前の友達を10人連れて来い」というのはあまりにも一見さんお断りすぎだろうと。

そうなってはじめて、テレビ、雑誌、ラジオ、そしてWebの中から、利用者はもっとも都合のよい媒体を選んでいくはずだ。

たとえばレピュテーションのシステムでも、古くから行われているレビュー自体に「参考になった/ならない」をつけるなど、その正確性を上げていく試みはもっと色々あっていい。
Amazonの「10人中○人」では信頼性が低いかもしれないが、Yahoo! ニュースのコメント欄のように何万もの評価がつくことにより、情報はより平準化されていくはずだ。
ソーシャルメディアが生き残るためには、物量を多く取り込むことこそがまずすべきことなのではないか。

Web上にソーシャルグラフを構築することは難しくても、ソーシャルメディアをまだうまく使っていない人を取り込むことは可能だ。使いこなしていない人がほとんどのはずだから。

そんなことを思った2010年元旦。
今年もよろしくお願いいたします。

見ろ、非モテがアリのようだ

タイトルは釣りです。

非モテSNS」というサイトが盛り上がっていると聞いて、試しに登録してみた感想。

「モテないもの同士が傷を舐めあうサイト」
「恋人ができたら即退会」
というキャッチフレーズを聞いていたので、さぞかし自虐的なネタが満載なのだろうと思っていたら、ちょっと違った。
むしろ正反対だった。

というのも、オフ会がかなり盛んだったからだ。
俗に「非モテ」と言われる人たちは、他人との交流が億劫だったり初対面の人が苦手だったりする(だからこそ非モテ)のかと思っていたから、結構意外だった。

コミュニティへの書き込みの多くがオフ会絡みで、非モテという言葉がなければ正に「リア充」のSNSにも見える。
ちょうど、mixiの初期のころを見ているようだ。

先日、「働きアリばかりを集めても怠けアリがでる」というニュースがあって、ユニクロの柳井さんも「できる人ばかりを集めても、その中で突出するのは2割」と『一勝九敗』で著していた。

これと同じで、どんなに消極的な「非モテ」を集めても、相対的に積極的な人が先頭を引っ張って、周りにそれについていく人がいて、というようなクラスタができあがっていくのかな、と思った次第。
リーダータイプでなかった人が、転職などを機に急に求心力を得た、というのもよくある話だ。
そうやって、世の中はうまく回っている部分もあるのだろうかな。

ただし、非モテでも何でもなくただお金を儲けるために乗り込んできた人がいるだけ、という可能性も否定できない。
オフ会でもイベントでも、主催者はそれはもう儲かる。これは間違いない。

それが必ずしも悪いことではないけど、中にはそういう人を食い物にするような、怪しげな団体みたいなのがあるので注意したい。

サイトの主催者自体がそのような意図で運営していないといいな、と思うけども。

セカイカメラはすごい、でもすぐ飽きちゃわないだろうか

いつの間にか「Classic」と言われるようになってしまったiPodしかもっていない分際で言うのもなんなんですが。

世界中のベンチャー企業でもわずかしかその出席を許されない、TechCrunch 50を熱狂の渦に巻き込んだ「セカイカメラ」というiPhone向けのアプリが、先日遂にリリースされた。身の回りでも熱狂している人が多い。

残念ながらまだ利用したことがない(のにも関わらずこんなエントリを書いています)ため、Web上で知りえる情報しか持っていないのだけど、セカイカメラはとてもすばらしい世界観と技術を持った、世界を変える可能性があるサービスだと思う一方、一時の熱狂としてすぐに廃れてしまう可能性もあるな、と今のところは感じている。

「セカイカメラ」は、アプリを通じて世界に自由にタグをつけることができる。
利用者はカメラを通して、他の人がつけたタグを見られる。肉眼では何もない世界に、カメラを通すと何かが浮かび上がってくるというのは、ワクワクするような体験だろう。

しかしそれは、この「セカイカメラ」の世界への積極的な関与が要求されるという前提がある(誰もタグをつけなかったら機能しない)。例えばカーナビみたいな完全に受身のものとは性質が異なる。

今の熱狂がひとまず落ち着いて実用的に使う場面としてすぐに思い浮かぶのは、例えば周辺にあるおいしいお店を探す、ということだと思う。でもそれって食べログモバイルで「周辺のお店を探す」のとどう違うの、ってことにならないだろうか。
言い換えれば、CGMの情報をPC上ではなくその場で、実物の上に重なって見る、という違い(しかない)とも言える。

また、お店が商品や店自体にエアタグを貼り、セカイカメラを通して見た人により多くの情報や広告を提供する、ということが考えられるが、それもそんなに有用な情報だったら普通に掲示しておけよ、という話になるし。

だから、セカイカメラがその世界の中だけで成功を収めるためには、現在Web上にある情報の量と質が同等か、それに追いつくくらいでないと厳しいのかなという想像が成り立つ。道に「道」とか壁に「WANTED!」というタグばかりでは、最初は楽しいけどすぐに飽きるだろう。
もしくは、エアタグと一緒に食べログの評価が見える、みたいに単純に連携しちゃうとか。でもセカイカメラの革新性に比べると、何だかそれって普通だよね、という気もするかな…

こういう考え方をしてしまう自分は非常に保守的というか後ろ向きで嫌だなぁ、と思うのだけど、どんなにすごい技術を目の当たりにしても、その技術に精通していない人の感覚として捉えることをいつも心がけているつもりで、その前提に立つと、どうしても「普通の人は使わないよな」と思うサービスがある。例えばRSSしかり。

セカイカメラのような心トキメク新技術が出現すると、ただそれに浮かれてしまう人がワンサカ出てくるけど、じゃあ本当にそれを使ったときにどんなビジネスが展開できて、どう世界が便利になるのかを考えるのがビジネスマンの役割だと思う。

その意味では、セカイカメラはもう肉眼で見てもその場にタグが出現してくるようなレベルにいかないと、ごく一般的な人がこぞってiPhoneをかざして街を歩く、というのは厳しいかなという気がするのです。メガネでさえ敷居が高いと思っています。

あとは、場所だけではなく例えばiPhone端末なんかにタグをつけられると面白いかもしれませんね(人間そのものでは色々と問題がありそうだけど)。
その人に対する周りの人の評価とかが、セカイカメラをかざすと見えてくる、でも自分は見えない、みたいな。たまに友だちのiPhoneから見てみて「誰だよ、こんなタグつけたの」みたいな感じで。もちろん、facebookかfriendfeedか分からないけど、友だち登録関係にある人しかつけられない、という縛りつきで。
それこそSNSの世界が飛び出してきた、みたいな。会社の面接なんかで利用されても迷惑、もとい面白いかも。

もしくは、街歩いてたらすごーくかわいい女の子がいて、ナンパ代わりに勝手にタグ(メッセージ)送っちゃう、みたいな。まぁそれはストーカーか。