私は美しいものを見ることがあまり得意ではない。
特に夕焼けとか、星空とか、赤ん坊が笑っている顔とかそういう不連続的な、一過性のものが。
美しいものが嫌いとか、醜く見えるとかそういうことではない。美しいものは美しいと思える一般的な感覚は持っている(はずだ)。
理由は簡単で、美しいものを見ると心が痛くなるからだ。
物心ついた時からそうだったのなら、自分がそういう類の人間であるというだけで別に不思議はないのだが、残念ながら昔は無邪気に喜んでいたのである。
どうしてそうなったのだろうか。
辛く感じるようになってしばらくしてから、今からすると随分前から、その理由が分かるようになった。
美しいものを見ることはそれ自体の感動より、その感動を「ほら、見て」と誰かに伝えて、たったひとこと「本当だね」と言ってもらえることの方が価値があるのだろう。
もうこうなると、美しいものでなくても構わない。面白いものでも興味深いものでもなんでもいい。自分の知覚や感覚に同意してもらえることは、精神の充足にとても大事な要素なのだと思う。
伝えたくて、共感してもらいたいその相手が、自分と同程度かそれ以上に感銘したとわかれば、心が満たされ、自分が肯定されたように感じられ、この人と一緒にいてよかったと思えるのだろう。
今隣にいれば必ず伝えるのに、そして絶対に喜んでくれるのに。それがわかるから、そしてそれが不可能なことだから辛くなるのだろう。
とんでもなく自分勝手な感動の仕方だけれども。
そんなこんなでこのブログも5年目に入ります。