109シネマズの「シネマポイントカード」は、実はかなりお得

今回は、109シネマズによく映画を観にいくという人にとって、ちょっとお得なTipsを。

109シネマズには「シネマポイントカード」というEdy付きカードがあるのだが、これが結構使えるという話。具体的には、以下のような特典がある。

    1.入会時に2,000ポイント付与
    2.「良・席・予・約」というシステムを使い、ネットで事前に指定座席を取れる
    3.「良・席・予・約」利用で、一枚につき1,000ポイント。6.000ポイントたまればタダ券一枚に
    4.ポイントの有効期限なし
    5.毎週火曜日は1,300円
    6.2009年4月まで、毎月19日は1,000円
    7.ペアシート(2名 4,000円)、エグゼクティブシート(1名 2,500円)が通常料金
    8.通常の買い物でも1,000円につき30ポイント(※)
    9.劇場では専用端末を使えるので、売り場に並ばなくてよい
    10.その他、試写会などの各種イベント招待

    ※ただし、クレジット機能付きのブロンズカードのみ

この中で、特に「3」の6,000ポイントでタダ券一枚というのは、映画を定期的に観にいく人にとってはかなりお得だと思う。

1,800円 × 6 = 10,800円
1,800円 ÷ 10,800円 = 約16%

ということで、単純計算で17%の還元率のあるカードということになる。

チケットの値段は関係ないので、映画の日やレディースデーでも1,000ポイント付与される。
それで貯めたポイントで一般チケットを買うとすると、

1,000円 × 6 = 6,000円
1,800円 ÷ 6,000円 = 30%

というかなり破格な還元率だ。

ちなみに、以前私が入ったのはクレジット機能も付いた「ブロンズカード」というもので、入会時には6,000ポイントが付いていたり、無料でFeliCaポートであるパソリが付いていたりと、結構な大盤振る舞いだった。

それが祟ったのかどうかは分からないが、残念なことに現在ブロンズカードは新規入会停止中だそうだ。

とりあえず、あまり頻繁に109シネマズに行くわけでもない私でも、これらの機能は非常に便利で、映画に行く際のちょっとした「気構え」が大分取れた気がする。

同時にこれがシネコンの強みであり、こうして囲い込みをしていくことで生き残りを図っているのだろうな、と思った。

参考:
http://109cinemas.net/pointcard-2.html
http://109cinemas.net/pointcard-privilege.html

Javariをはじめて使ってみたら、とんでもない罠にはめられた件

履いていた革靴がだいぶ疲れてきたので、何度でも返品OKという、Amazonの靴&かばん販売サイトJavariをはじめて使ってみた。

上は10万円を越えるものから、1万円を切るものまで品揃えが意外と豊富だ。ほとんどの靴に色違いもある。
ただ、サイズがないものは結構あった。

デザインは確認できてもやはり革の質感とかは手に取らないと分からないよなぁ、と思いつつ、まぁ嫌だったら返品すればいいかと思うと気が楽になる。
やはりこの「返品OK」はでかい。というか、そうでなきゃネットで靴など買えないか。

サイト上には「あと○時間以内にご注文いただければ、明日のお届け」という文字。
別に急いでいたわけではないけど、本当に急を要するときは便利なのかもしれない。
明日どうしても靴(orかばん)が必要!という状況はあまり思い浮かばないけども…

とりあえずめぼしいものを見つけて注文。当たり前だけど、本当に次の日すぐ着いた。

デザインはまぁ思ったとおり。手触りや質感なんかも、値段の割にはいいかな。
試し履きもして(この時、ちゃんと両方履かなかったのが敗因…)サイズもOK。

ここまで、総じて高評価。次も使ってみてもいいかな、と思っていた。

そしていよいよ初日。靴をおろすというのは、いつでも嬉しいものだ。

し、しかし、ここで予想もしないトラップが待ち構えていようとは!

「さぁ、この時何があったでしょう?」とクイズにしても、絶対に誰も当てられないだろう、という自信がある。

答えは何と「片方の靴紐だけ異様に長い!!」

ヒィー! なんじゃこりゃーー

しかも、ちょっとどころじゃない。すげーーー長い。
きちんと縛っても、歩いていたら確実に踏んづけるだろうな、というくらい。

なんなんだよ、この地味すぎる嫌がらせわぁぁぁ!

まぁこれで返品も面倒なので、靴紐買いましたよ。。
他の人でもこんなことあるのかな。。 まぁ相当レアケースだろうな。

次も使うかどうかは悩み中…

節約のためにこころがけること

僕は細かい(せこい)性格なので、1円単位で収支や財産の記録をしているのだが、たいがいの人はそうではないらしい。当たり前か。

しかしそんな僕も、社会人になりたてで「お金のつかい方」が未熟だったころ、別に何をしたわけでもないのに200万もの借金ができたことがある。
このままじゃまずい、と思ってはじめ、今でも実践している節約法が何かのお役に立てればいいと思うので書いてみる。

■給料の一定額をまず貯金

「金持ち父さん」なんかにもでてくる基本中の基本だけど、やっぱり一番大事。
できれば金額ではなく割合がいいのだが、強制的に貯金に回すという習慣が大事。

サラリーマンの人なら財形貯蓄に入るのもいいし、証券口座を持っている人は、毎月MMFで預貯金よりはるかにいい利子が得られるのでそこにいれちゃうのもよし。

■毎月の支出額を大体把握する

家計簿をつけるのが一番いいのだけど、やはりなかなか難しい。
でもとりあえず、自分が月にいくらくらいつかうのかを把握しておくことは絶対に必要。

■「1ヶ月○○円で過ごす」ではなく「○○円で何日過ごす」

誰しも月末に「あぁ、今月はもうこれしかない…」と考えるのは辛い。ただそれは無意識に「今月は○○円までつかえる」と考えているから。

逆に、例えば「10,000円で10日過ごしてやる」と考えることにする。
10日経ったときにまだ少し残っていると「ここまできたらあと2,3日がんばってみよう」と思ったり「節約に成功したお金でパーとおいしいものを食べよう!」という気になる。

そうして節約が楽しくなってくるとしめたもの。

■一度におろすお金、所持金を限りなく少なくする

お金を持ってさえいなければムダな出費を抑えられる。というか不可能になる。
飲み会に行って50,000円持っていたら「今日はタクシーでいいか」という気になってしまうところ、5,000円しか持っていなければ、帰るしか選択肢がない。

のどが渇いたとき120円持っていればジュースを買ってしまうかもしれないが、10円しか持っていなければそもそも買えない。そして、そういった出費はたいがい我慢できる程度のものだ。

とにかく所持金を少なく、可能ならば数百円、数十円単位まで我慢する。不安な人は、封筒なんかに入れて簡単につかえないようにした「緊急資金」を財布の奥の方に入れておく。

同じように、おろすお金が多いと絶対につかってしまうので、必要な分だけちょこちょこおろすようにする。

■クレジットカードはなるべくつかわない。ただし、固定費は全部クレジットで

誰しも分かっていることだが、現金とクレジットでは精神的な負担が全く違う。借金を(一括払いなら)無利子で繰り延べているのだから当然といえば当然なのだが、とにかく飲食や大きな買い物をするときはなるべく現金をつかうように心がけると、本当に必要なものしか買わなくなる。

ただ、光熱費など削りようのない固定費は口座引き落としではなくてクレジットに変更する。なぜならポイントがつくから。
ポイント還元率で有名なのはライフカードSBIカードなど。YahooカードもYahooポイントながら還元率が高いので、Yahooをよく使う人は選択肢としてはあり。

■クレジットは絶対に1回払い

それでもどうしてもカードを使う場合、絶対に1回にする。分割にすると楽なように感じるが、手数料は1.8%~10%くらい。
銀行に預けてもほとんど利子のつかない今、これだけの金利でお金を運用するのは大変。「分割払いはクレジット会社をもうけさせるだけ」と認識すること。

そして、くれぐれも「リボ払い」だけは絶対にしない。詳しくは書かないが「リボ払いは悪魔」くらいに思っていていいと思う。最近ではクレジットカード申し込み時のデフォルト支払いがこれになっていることもあるので要注意。

■自分の時給を常に意識する

月給から総労働時間を割り出して、自分の時給を計算し、何をするにも「時は金なり」を意識すること。

例えば、セールのために何時間も行列する人がいるが、それが本当に自分の時給に換算して得になるかどうかを考える。
3時間並んで5,000円安くなるのだとして、それが時給と照らして得だと思えば並べばいいし、その分を何らかの勉強に費やす方が将来的に価値があると判断したらそちらを選ぶこと。

とりあえず、何も考えずに「普通より安いから」という理由で時間(=お金)をつかわないことだ。

まぁあまりギスギスと節約に狂うのも楽しい人生とはいえないと思うので、そこら辺はトレードオフだろう。
とにかく自分の身の丈をわきまえ、いつでも「キャップ(限界額)」を意識することが大事だと思う。

自己責任論は弱者の足の引っぱりあい

English follows after Japanese…

大学のころ、授業中に教授が児童福祉だかの寄付を行うために募金箱を回した。
「強制ではない」という言葉通り、札を入れる人や1円を入れる人、もちろん何も入れない人もいた。

ところが、90分の授業が終わっても箱は戻ってこなかった。まさか誰かが盗んだのでは…?

そうではなかった。一番後ろでケラケラ笑いながらしゃべっていた奴らの机の上に置きっぱなしになっていたのだ。
そいつらはそのときまで、まるで自分には関係ないという顔でそのまま放置していたのだろう。

授業が終わって教室を出るときにそのことに気づいた僕は、殺意にも似た激しい怒りと、ひどい絶望感に襲われた。
寄付なんて自由だ。しかし、ただ「募金箱を隣の人に渡す」という、善意ともいえないことすらしない人間がこんなにも身近に、少なくとも同じ教室で勉強をする中にいたことは大きなショックだった。

今の「派遣叩き」を見ていると、あの時と同じ感覚になるときがある。
大企業を優遇する政策を、もちろん一国の景況をよくするためとはいえ政府が執り行い、それによって人間の尊厳(と言っては大げさかもしれないけど)のような、もっと大事な何かが失われかけているのに、やれタバコを吸うな、努力が足りない、俺たちも薄給でがんばっているんだと、弱者が弱者を責め立てているのだ。

確かにワーキングプアに代表されるように、努力しているのに、身を粉にして働いているのに賃金が上がらない、苦しい生活を強いられている人は多い。

しかしその怒りの矛先がより弱い人たちに向かっていくのは、まさにお上に操られている証拠じゃないか。まるで農民の下に「エタ・ヒニン」を作ることで民衆の怒りを抑えた、江戸時代の政策みたいに。
我々の敵はそこではないはず。むしろ我々は仲間のはずなんだ。

いつの時代だって、政府が最も恐れるのは国民だ。国民が怒り狂ったら手のつけようがない。
だからこそ武器を奪い、金を奪い、物を奪って力をなくし、感情をコントロールすることに努めていた。僕らは政府やマスコミに踊らされているばっかりじゃダメなはずだ。

阪神大震災から今日でもう14年。あの時僕らは協力しあわなかったか。
瓦礫の下のわが子をかばい、素人が命を懸けて隣人の救出活動をおこない、尽きることなく燃えさかる炎に立ち向かい、何の対価もないのに毎週末にボランティアに繰り出したじゃないか。

そんな人は一部だった。でも、心を痛めたじゃないか。辛い気持ちを共有した仲間じゃないのか。

神戸の人たちに「そんなところに住んでいるのが悪い」と言うのか?そんなどうしようもなくギスギスした社会なのか。

天災と今の経済危機を一緒にするのはおかしい。
でも、今は本当に国家がどうなるかという瀬戸際にある。このままでは絶対にまずい。僕らは「敵」を見誤っちゃいけないんだ。

キレイゴトかもしれない。

でも少なくとも僕は、あの時ケラケラ笑っていたあんな奴らにだけはなりたくない。

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In the days of a university, Mr. professor turned a collecting box so that a performed the contribution that was child welfare during a class.
According to the not to “be compulsion”, there were the person who put a bills and the person who put \1, the person whom of course could nothing.

However, the box did not return even if a class was over. Indeed somebody stole it…?

It was not so. It was left behind on a desk, where some guys who talked while laughing each other.
Those fellows would just leave you unattended with a face to totally have nothing to do with oneself until the time.

I who noticed it when a class was over and left the classroom was attacked by the intense anger that resembled the urge to kill and a feeling of terrible despair.
Contribution is free. However, it was a big shock to have been in the inside that the person who did not do even that it cannot be said with the good will to “hand a collecting box to the next person” was only like this, and studied in the close same classroom.

There is time to be in that time and the same sense when I watch the present “part-time-workers beating”.
Though a policy to receive a big business warmly be said of course to make business conditions of one country better, and the government holds it, and anything which is more important which seems to be human dignity thereby (though I may be exaggerated when I say) is about to be lost, the weak tortures the weak.

There are surely many people forced to the painful life that a wage does not stop to make an effort so that it is represented by though I work with one’s blood and guts.

However, is it the evidence that is right handled in the government that leave for the people who are poorer at the object of attack of the anger? Like the policy of the Edo era when the edo-gorvement controlled the anger of the people by making “human class system”.
Our enemy cannot be there. Rather we should be friends.

It is the nation that the government is afraid most even in what time of times. If the nation gets furiously angry; of the hand cannot arrive.
Therefore they took a weapon and money and quality and got rid of power and tried for controlling feelings. We must wide open with eyes for the government and the mass communication.

It is another 14 years from Great Hanshin Earthquake by today. Did not we cooperate at that time?
Someone protected his child under the debris, and an amateurs performed the rescue operation of the neighbor at the risk of life and firemans confronted the flame which blazed without being simply it, and what value flocked for a volunteer in every what there was not on the weekend.

Such person was a part. But we feel anxious, didn’t we?

Do you say to people of Kobe that it “is bad to live in such a place”? Is it such a helplessly unsociable society?

It is strange to do a natural disaster and the present economic crisis together.
But the last moment how turns out really has a nation now. In this situation is absolutely bad. We must not take a wrong enemy.

I do not want to become “the laughing guys” at that time.