2016 東京オリンピックに反対する4つの理由

2016年のオリンピックを東京へという誘致活動が盛んだが、個人的には中々賛成できない。
その理由をまとめてみた。

■お金がかかりすぎる

石原都知事は「オリンピックの運営に税金はかかっていない」と言っているそうだが、だとしたら2006年度から09年度まで毎年1,000億円、合計4,000億円も積み立てている「五輪準備基金」とはなんなのか。

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仮に開催されなかったら、または開催されて回収できたら、都民に返還するのだろうか。

実際には、既にオリンピック名義で建設が進められている、中央環状品川線や首都高速10号晴海線の延伸に使われるのがオチだろう。
事実、晴海線の豊洲~築地間の工事はオリンピック決定を待っている状態だ。

これだけの金額があれば、他にどんなことができるだろう。

    ・都内の図書館、学校の本を入れ替え・充実させる
    ・すべての小学校にPCを支給
    ・産婦人科、小児科の医療費を軽減させる(少子化対策)

素人考えでも、明らかに有益な策がいくらでもあると思うのだが。

そのほかにも、築地移転にはじまる、オリンピック開催以外にメリットのない開発が多すぎるように思う。
以下は、都が発表した競技場などのリストだが、興味がある方は是非見ていただきたい。このために、現在の夢の島や辰巳の森公園は大部分をつぶさなければいけなくなる。

※PDFです
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/press/pdf/Tokyo2016PressRelease081218_02_jp.pdf

■成功するかどうかは賭け

オリンピックは確かに盛り上がるし、日本人は特に好きだといわれる。
もし東京で行われたら、都民もそれなりに協力体制を示すのだろうと思う。

しかし、だからといって「よし、一か八かやってみよう!」なんて気楽なことを言ってられるのは政治家だけだ。

都はオリンピックの経済効果を3兆円と見積もっているそうだが、試算の内訳は不明。
また、金額だけ聞くとすごい数字のように思えるが、GDPと比較すれば0.5%程度。北京五輪が1.1%だったので、半分以下だ。
もちろん、つかった費用を差し引けばその率はもっと下がる。

ということは、最高で0.5%の効果しかない(しかもそれができる保障もない)施策に一か八かをかける、ということだ。

我々は「東京都」のパトロンでもないし、「東京都」という企業に投資しているわけでもない。
住民税は義務だから当然支払うが、そうして強制的に徴収されたお金を、当たるか当たらないかやってみなくては分からないようなものに投資して欲しくはない。

■東京がふさわしいと思えない

「お金かかるし、回収できないかもしれないからよそでやって」というのは傲慢だろうと思う。
だからもし「絶対に儲かって、みんなハッピーになる」のだとしたら、なおのこと他の都市でやるのがふさわしいと思う。

オリンピックを行う都市は、数年前から世界中の人の話題にのぼるだろう。
世界にその都市の良さを知らしめ、観光を誘致するためには現在最強のツールだと思う。

であれば、その必要がある都市が行うべきで、それにはもう「東京」は成熟しすぎているように思う。
実際、次のオリンピックはロンドンだが「ロンドンに旅行しよう。今度オリンピックやるから」と思う人がいるだろうか。

また、五大陸の順番的にも2008年に北京でやったばかりだ。

そういった意味では、シカゴかリオデジャネイロがふさわしいと思うし、実際そのどちらかになるだろうと思う。

■都知事が石原慎太郎だから

これはまぁ言葉は悪いかもしれないが、氏は「新銀行東京」での前科がある。
金融関係者のほとんどが当初から「素人経営」だと指摘し、累積赤字は2008年の段階で1000億円を超え、資本金をとっくに上回っている。

2008年4-12月期決算で分かった不良債権残高は353億円で、比率は18.28%。全国平均が2.5%なのだから、いかにひどい有様かが分かる。

都はもう後戻りできないとどんどん追加で税金を投入しているが、どうみても破綻は目に見えているはずだ。よくて、どこかに吸収されるのがオチだ(今の段階ではどこも手を出したがらないが)。

結局は、オリンピックという名の下に行われる「道路整備」に過ぎないのではないか、という疑念がある。
代議士の基盤=地方で実力を持った土建屋→公共工事発注→その利得にまとわりつく官僚

確かに、今の東京の道路事情は中途半端な状態であるけど、それであれば面と向かって「道路を補正したいです」と言えばいいではないか。
それだと選挙に勝てないから、大義名分として利用しているだけではないのだろうか。

そもそもオリンピックが嫌いな人もいるだろうに「オリンピック超すごい。反対する奴は国賊」という、RPGのボスみたいな短絡的な考え方にも、もう辟易した。

彼の思いつきで都政をおもちゃにされるのは、いい加減勘弁して欲しいと思う。

竹中平蔵がTBSでとんでもないデタラメを言っていた

遅ればせながら、竹中平蔵氏が出演した「久米宏のテレビってヤツは」を見た。
そしてその中で、彼はとんでもないデタラメを言っていた。

番組は出演者が竹中氏に質問する形式になっていた(「追求」にはまったくなっていなかったが)。
すべてがただの言い訳にしか聞こえなかったのだが、特に気になったのは以下の点。

Q.派遣労働者の待遇の問題について
A.「派遣」労働者は全体の2.6%でしかない。非正規雇用者は全体の1/3くらいだが、非正規と派遣を一緒にしてはいけない。

これは、典型的な論点のすり替えではないか。
派遣労働者問題でもっとも重要なのは、その数ではなく彼らが非常に弱い立場に追いやられていることだ。
同じ仕事をしても賃金は低い。保障もない。事情によりそれを望んで選んだ人は別として、今は「それしか選択肢がなかった」人がどんどん増えてきているという問題の返答になっていない。

そもそも、2.6%だからいいということでもないだろう。
もしその人たちの半分でも失業すれば、国の失業率が一気に1%以上も上がることになるというのに。

そして、驚いたのは次の点。

Q.2,000億円相当を、109億円でオリックスに一括譲渡した「かんぽの宿(日本郵政株式会社が運営している=税金で建設された)」問題について。オリックスの宮内義彦氏は、経済財政諮問会議の中心メンバーだったではないか。出来レースではないのか。
A.宮内義彦氏はメンバーではなかった。それはマスコミのでっちあげである。

Q.しかし、規制改革会議のメンバーであった。
A.規制会議と郵政民営化とは何の関係もない。

これはあまりにもひどい。
確かに宮内氏は経済財政諮問会議ではなく、規制会議の議長を務めていた。しかし、この二つは密接にかかわりあっていた。

以下に「平成15年度 第5回総合規制改革会議 議事概要」の議事録の一部を引用する。

<宮内議長から資料1について説明>

○その他
7月の第3回会議で、複数の委員から提案があり、その後当会議としての取組み方を検討していた「郵政三事業の民営化など」に関する取り扱いについては、金子大臣が小泉総理とご相談されていたところであるので、その内容について大臣からご説明を頂戴したい。

(金子大臣)本年夏以降、総合規制改革会議の委員の間では、郵政三事業の民営化などについて同会議で取り扱うべきとの議論があったと聞いている。一方、ご存知のとおり小泉総理からは、本件を経済財政諮問会議において集中的に取扱うこととし、そのとりまとめを竹中大臣にお願いしたいとの指示が公式にあった。

~中略~

<質疑応答等> (●質問・意見、→質問・意見に対する回答)
基本ルール・基盤整備WGの関連事項は資料には出てこないが、WGでの取組は引き続き進めていきたい。また、郵政三事業については、経済財政諮問会議で一元的に検討を行う事情は分かるが、当会議に民間からの要望が出されている事項である。要望を反映し、規制改革を聖域なく進める観点からは、その検討の過程において当会議が規制改革の観点からの自ら意見を有することは構わないし、その意見は経済財政諮問会議に宮内議長あるいは金子大臣を通じ伝えていくことが適切ではないか。

→基本ルール・基盤整備WGについては、ご指摘のとおりである。郵政事業については、当会議の答申としてまとめることについては、大臣のご説明にもある事情を踏まえて考えなければならないが、経済財政諮問会議に当会議の考え方を伝えることについては、ご指摘のとおりとしてはどうか。
この点も含め、アクションプランをはじめ今後の当会議としての重要事項の扱いについては、説明があった内容、あるいは質疑の中でご確認いただいたとおり、おおむねこの資料に添った形で決定するということでよろしいか。

(-異論なし-)

(宮内議長)ありがとうございました。年末の答申に向け、今後、特に主査の方には短期間のとりまとめでご苦労を頂くことになるが、どうぞよろしくお願いしたい。

小難しい言葉で書かれているが、
宮内氏:「郵政民営化どうなってんの? 経済財政諮問会議の奴らに言っとけよ」
大臣:「分かりました。伝えます」

とはっきり書いてある。
そもそも、郵政民営化はこの「規制改革会議」で審議されていたことで、後に「経済財政…」にバトンタッチされたはずだ。なぜかその間の議事録は作成されていないのだが。

そういった事実を踏まえて「メンバーではない」「規制会議と郵政民営化は関係ない」などとなぜ言えるのだろうか。

オリックスが一般入札で「かんぽの宿」を手に入れたのならそれは問題ではない。
実際には、内容が開示されないというきわめて不透明なものだったのだが。

そして、一括で譲渡したからこそ低価格で獲得できた、というのもウソではないだろう。
しかし、上記の竹中氏の発言はどうだろう。かぎりなく「クロ」に近いけどクロではない。#000000ではないけど#000001みたいなもんじゃないか。

彼が行ったことや、これから行おうとしていることが本当に間違っていたのかは、正直分からないと思う。
正しいのかもしれないし、違う方法があるのかもしれない。専門に研究している学者や、世界中の国の間にだって見解の違いがあるのだから、仕方のないことだ。

そして、仮にも竹中氏は国民が支持した小泉政権の中核だったわけで、その政策を今更責め立てるつもりは私はない。

しかし、自己を正当化するためにデタラメを言って国民をだまくらかすというのは、いくら政治家を引退したとはいえ、彼の立場上許されないことのはずだ。

そしてこの内容をただ垂れ流したTBSの罪も重い。TVというメディアの影響力は圧倒的だ。あの番組を見た人は「あぁ、そうだったのか。小泉・竹中バッシングは不当なものだったのだな」と思うことだろう。
でも違う。あれは明らかに詭弁だった。

番組の後半に、構造改革のためには現在の正社員の既得権を廃し、雇用の流動化を図ることが必要だ、と述べていた。
そう思うなら、それを説明すればよかったではないか。なぜいい加減なことを言って言い逃れをしようとするのか。

彼のことは好きでも嫌いでもないし、少なくともあの頃「何もしない」という選択肢はなかったわけで、例えば全然違うことをしても失敗していたかもしれないわけだ。
そういう意味では、少なくとも「行動した」ことは評価に値する、と思っていた。

しかしあのような発言をするようでは、とても信用ならぬ人物なのだろう。

元リーマンCEOが14億円の自宅を9千円で売ったそうだ

Diggを見ていたら、興味深い記事があった。

リーマン・ブラザーズ最後のCEO、リチャード・ファルド氏が、保有していた住宅を100ドルで妻に売却したそうだ。
しかも去年の11月の話。

2004年に購入したときの価格が日本円で約14億円だというから、そりゃ破格だ。

ご存知の通り、リーマンの破綻によってアメリカのみならず世界経済は大きな影響を受けた。
会社は直接救済されなかったものの、その後始末のために多額の税金が投入された(る)。アメリカ国民の怒りは当然だ。

しかし彼は曲がりなりにも倒産した企業のトップ。財産も没収されるのが普通なんじゃないか、と思って調べてみると、どうやら「連邦倒産法」という法律が関係しているようだ。

Wikipedia調べだが、債務者(この場合ファルド氏)の全財産はやはり没収されるのだが「除外財産」というのがあるそう。
そして、フロリダ州やテキサス州ではこの除外財産に上限額がない。すなわち、ここに家を建てておけば破産しても取られない、ということだ。

もちろん、ファルド氏の渦中の邸宅もフロリダ州にある。
以前には、O・J・シンプソンも同じようなことがあったそうだ。

何故ファルド氏は、妻にとはいえこんなに格安で家を売ったのか。
あくまで憶測だが、今回の件で多額の損失を被った投資家などに民事で訴訟を起こされた際の対策ではないか、ということだ。

記事の見出しが「mansion」となっていたので、つい日本のマンションを想像して記事を見てみたら、大邸宅すぎて笑った。

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それにしても、その記事に対するDiggのコメントも面白く、

「100ドルだって!? ふざけんな!オレなんて毎月200ドルも家賃払ってんだぞ!」

って、それもそれでうらやましいな。。

自己責任論は弱者の足の引っぱりあい

English follows after Japanese…

大学のころ、授業中に教授が児童福祉だかの寄付を行うために募金箱を回した。
「強制ではない」という言葉通り、札を入れる人や1円を入れる人、もちろん何も入れない人もいた。

ところが、90分の授業が終わっても箱は戻ってこなかった。まさか誰かが盗んだのでは…?

そうではなかった。一番後ろでケラケラ笑いながらしゃべっていた奴らの机の上に置きっぱなしになっていたのだ。
そいつらはそのときまで、まるで自分には関係ないという顔でそのまま放置していたのだろう。

授業が終わって教室を出るときにそのことに気づいた僕は、殺意にも似た激しい怒りと、ひどい絶望感に襲われた。
寄付なんて自由だ。しかし、ただ「募金箱を隣の人に渡す」という、善意ともいえないことすらしない人間がこんなにも身近に、少なくとも同じ教室で勉強をする中にいたことは大きなショックだった。

今の「派遣叩き」を見ていると、あの時と同じ感覚になるときがある。
大企業を優遇する政策を、もちろん一国の景況をよくするためとはいえ政府が執り行い、それによって人間の尊厳(と言っては大げさかもしれないけど)のような、もっと大事な何かが失われかけているのに、やれタバコを吸うな、努力が足りない、俺たちも薄給でがんばっているんだと、弱者が弱者を責め立てているのだ。

確かにワーキングプアに代表されるように、努力しているのに、身を粉にして働いているのに賃金が上がらない、苦しい生活を強いられている人は多い。

しかしその怒りの矛先がより弱い人たちに向かっていくのは、まさにお上に操られている証拠じゃないか。まるで農民の下に「エタ・ヒニン」を作ることで民衆の怒りを抑えた、江戸時代の政策みたいに。
我々の敵はそこではないはず。むしろ我々は仲間のはずなんだ。

いつの時代だって、政府が最も恐れるのは国民だ。国民が怒り狂ったら手のつけようがない。
だからこそ武器を奪い、金を奪い、物を奪って力をなくし、感情をコントロールすることに努めていた。僕らは政府やマスコミに踊らされているばっかりじゃダメなはずだ。

阪神大震災から今日でもう14年。あの時僕らは協力しあわなかったか。
瓦礫の下のわが子をかばい、素人が命を懸けて隣人の救出活動をおこない、尽きることなく燃えさかる炎に立ち向かい、何の対価もないのに毎週末にボランティアに繰り出したじゃないか。

そんな人は一部だった。でも、心を痛めたじゃないか。辛い気持ちを共有した仲間じゃないのか。

神戸の人たちに「そんなところに住んでいるのが悪い」と言うのか?そんなどうしようもなくギスギスした社会なのか。

天災と今の経済危機を一緒にするのはおかしい。
でも、今は本当に国家がどうなるかという瀬戸際にある。このままでは絶対にまずい。僕らは「敵」を見誤っちゃいけないんだ。

キレイゴトかもしれない。

でも少なくとも僕は、あの時ケラケラ笑っていたあんな奴らにだけはなりたくない。

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In the days of a university, Mr. professor turned a collecting box so that a performed the contribution that was child welfare during a class.
According to the not to “be compulsion”, there were the person who put a bills and the person who put \1, the person whom of course could nothing.

However, the box did not return even if a class was over. Indeed somebody stole it…?

It was not so. It was left behind on a desk, where some guys who talked while laughing each other.
Those fellows would just leave you unattended with a face to totally have nothing to do with oneself until the time.

I who noticed it when a class was over and left the classroom was attacked by the intense anger that resembled the urge to kill and a feeling of terrible despair.
Contribution is free. However, it was a big shock to have been in the inside that the person who did not do even that it cannot be said with the good will to “hand a collecting box to the next person” was only like this, and studied in the close same classroom.

There is time to be in that time and the same sense when I watch the present “part-time-workers beating”.
Though a policy to receive a big business warmly be said of course to make business conditions of one country better, and the government holds it, and anything which is more important which seems to be human dignity thereby (though I may be exaggerated when I say) is about to be lost, the weak tortures the weak.

There are surely many people forced to the painful life that a wage does not stop to make an effort so that it is represented by though I work with one’s blood and guts.

However, is it the evidence that is right handled in the government that leave for the people who are poorer at the object of attack of the anger? Like the policy of the Edo era when the edo-gorvement controlled the anger of the people by making “human class system”.
Our enemy cannot be there. Rather we should be friends.

It is the nation that the government is afraid most even in what time of times. If the nation gets furiously angry; of the hand cannot arrive.
Therefore they took a weapon and money and quality and got rid of power and tried for controlling feelings. We must wide open with eyes for the government and the mass communication.

It is another 14 years from Great Hanshin Earthquake by today. Did not we cooperate at that time?
Someone protected his child under the debris, and an amateurs performed the rescue operation of the neighbor at the risk of life and firemans confronted the flame which blazed without being simply it, and what value flocked for a volunteer in every what there was not on the weekend.

Such person was a part. But we feel anxious, didn’t we?

Do you say to people of Kobe that it “is bad to live in such a place”? Is it such a helplessly unsociable society?

It is strange to do a natural disaster and the present economic crisis together.
But the last moment how turns out really has a nation now. In this situation is absolutely bad. We must not take a wrong enemy.

I do not want to become “the laughing guys” at that time.

派遣労働と、それに対して個人個人が取るべきスタンスについて

いつか考えをまとめたいと思って後回しになっていたのだが、年末年始少し時間ができたこともあり、俗にいう「派遣労働」の問題について考えてみたい。

この問題は複雑だ。ゆえに、明確な解決案はでない。「誰が悪い」というのも決められない。ただ、その複雑さゆえに、我々は問題の本質から「目を背けさせられている」のではないか。

これには、経営者と派遣労働者だけではなく、正規雇用といわれる労働者、政府、ほとんどすべての国民がかかわっている。
なので、単純に「企業が派遣をクビにするのはひどい」なんてことは言えなくて、我々はそれぞれ、自分たちの立場と意見を明確に持っておく必要がある。

まず「派遣」と「正社員」のメリットだけを非常に簡単に対にすると、
手厚い保護が受けられ、企業が存続し続け、自分が望みさえすればほぼ終身雇用が可能

人間関係などのしがらみに捉われることなく、手に職をつければ自由にさまざまな場所で労働を行い、報酬を受け取ることが可能

といったところだろうか。まるで賃貸と分譲みたいになってきたが。
とにかくそんな感じで、今まではそれぞれのライフスタイルに合わせ、なんとなくうまく回っていたようにも思えた。

しかし、事態が急転したのはやはり、小泉・竹中の両名が「構造改革」を掲げて経団連と仲良く手を組み、派遣労働者を製造業にも従事できるよう法律を改正してからだ。
これによって派遣労働者は急増した。ちなみに、派遣労働者の労災は9倍にもなったそうだ。

ただそれによって、日本企業が力を取り戻したのも事実だった。
グラフを見ていただければ分かるが、企業の現金保有を示す内部留保は年々上がり、正社員と平均賃金は反比例して下がっている。
グッドウィルやフルキャストなどといった、古くから存在した人材派遣会社も急激に業績を伸ばした。
金融危機なんかが起きなければ、日本経済はこのまま、ゆるいながらも成長を続けるはずだった。

では、やはり「企業はお金をいっぱい持っているくせに、派遣を切っている。おまけに正社員の賃金まで下げている。ふざけんな!」となるだろうか。
少なくとも僕はNoだと思う。

最初に言ったように、この問題はあらゆる立場から考えなくてはならない。
そこで経営者の立場で考えてみると、彼らはあくまで法律にのっとった方法でこのバブル後の苦難を乗り越えてきたわけであって、その法律を制定したのが当時国民に熱狂的に支持されていた首相であったことも考えると、国民が選択した結果と言えるからだ。
だから「企業が悪いんだ説」を唱える人は、「企業も儲かって、正社員の賃金も上がって、派遣も解雇されない」代替案を提示しなければならない。

構造改革をする。それで日本の景気は良くなる。「痛み」は伴うかもしれないけれど。

確かに良くなった。国民は喜んだ。でも、政治家も経営者も分かっていた。誰かがそのツケを払わなければいけないと。
それが、派遣労働者だった。

前述のようなメリットがあった派遣も、今となってはただの「安く使いまわせる工数穴埋めの数字」と化し、その数も全労働者の1/3近くにまでなった。
ここに「働き続ける労働者層」と「それを管理する層」という、明確で前時代的な階層社会ができ(かけ)てしまったのだ。

ここで、一番ワリを食っている(と考えられる)「正社員として安定した雇用が欲しかったが、どうしても派遣にしか職がなかった」人を満たすにはどうしたらいいかを考えよう。

日本の正社員は、特にアメリカなどと比べると過剰なほど保護されている。最近はリストラも他人事ではなくなってきたとはいえ、基本的に一度雇用したらよほどのことでもない限り解雇されない。大幅な減給や降格も珍しい。まだまだ、企業は自分や家族を守ってくれる存在であると考えている人は多い。

そしてここが大きな問題なのだが、そんな人たちの数割が、自分の生産性と比べて明らかに過多な報酬をもらっている。
もちろんすべての仕事がお金に換算できるわけではないが、年功序列、定時昇給の仕組みが「ただ長く会社にいただけ」の人がそれなりに給料をもらい続けられる構造を作ってしまった。
そして当然、彼らはその既得権にしがみつく。彼らは言う。「今まで頑張ってきたじゃないですか」と。派遣社員の未来より、自分の過去を見てくれと。

派遣労働者は、そういった人たちに搾取されているということもできる。
彼らの雇用の安定のために身を粉にし、日給9,000円で自動車工場で汗を流しているのかもしれないのだ。

ここでひとつの案として
「正社員でもクビにしやすくする。現在の派遣も正社員も同じスタートラインで、真の実力主義社会を目指す(=それで落ちこぼれたやつは仕方なし)」というのが出てくる。
ちなみにこれは、竹中平蔵の現在の考え方だ。

そして、それと対になる考え方として
「今のまま。派遣だろうが契約だろうが、運がない人はそうやって底辺で働いていればよし」というのがあるのではないだろうか。

以前、堀江貴文氏が山崎元氏の主張である「ベーシックインカム」についてブログで言及していたが、これも考え方の一つだろう。個人的には、実質生活保護と変わらなくなるのではないかと思うが。

まとめると、
「誰もが幸せになれる、超ミラクルな方法を考えつくこと」
「全員が同等の、もっと激しい競争社会を目指す」
「今のままでいいじゃんよぉ」

となった。

僕はまだどれが正しいと主張できない。それだけの知識と確信が伴っていない。
ただ、派遣労働者であるかどうかを問わず、現状に不満や不安を持っているとしたら、ではどうすればいいのか、自分のスタンスとしてもっておくべきだ。その上で考えたり発言するべきだと思う。

個人的な意見になるが、戦後の日本を強烈に立て直したのは、大正から昭和初期に生まれた人たちだ。
しかしその次の世代の人たちは、もちろん意図していたなんて思わないが、結果的にそれを食いつぶし、莫大な借金を残し、次代の若者たちにとんでもない負の遺産を残してしまった。この遺産は、それはそれは本当にとんでもないよ。
僕は、100年後の日本は機能しなくなっているんじゃないか、もしかしたらなくなってるんじゃないかとたまに本気で怖くなることがある。

そして現在派遣労働者として働いている、特に若い人たちに言いたいのは、前述のような狡猾な大人たちに目を眩まされている可能性があることを認識すべきだということ。
変えたいと思うなら、何らかのアクションを起こさなければダメだ。誰かが考えてくれるなんて甘い。人間、楽な境遇にいると、何かを変えたいなんてこれっぽっちも思わないことを忘れてはいけない。

たとえばそういった主張をする政治家を見つけ出して応援をするとか、実際に投票をするとか。
ただ、僕も見つけてみようと思ったのだがなかなかいない。それはそうだ。全体の2/3である多数派を敵に回しては選挙に勝てない。
でも、それでも問題意識をもち続けることだ。そうしないと、また政治家やマスコミに目を眩まされ、企業の小手先の対応に満足する、ということを繰り返してしまうから。

そして誰も「企業は派遣を雇ってやれよ」なんて気楽に言ってはならない。それでは社会は絶対に良くならない。

ずいぶん長いエントリーになってしまった。。
もし最後までお読みいただいた方がいらっしゃれば、ありがとうございました。この問題は難しいので、またいつか書くかもしれません。